皆さんは、古代、中国思想における「竹林の七賢」という思想家たちのことをご存知でしょうか?
高校で世界史を選択していた人なら、古代中国文学史や、道教思想のところで、「竹林の七賢」というキーワードを暗記させられたことを思い出すかもしれません。
三国時代の末期、戦乱や権力争いに荒れる現実社会に見切りをつけ、山林に引きこもって酒を酌み交わし、思想や哲学を語り合っていた七人の集団、それが「竹林の七賢」です。
この記事の目次
世界史教科書に出てくる思想家集団と司馬一族の怖い関係
時代としては、魏の末期から晋王朝の成立にかけての頃に活動した人々となります。つまり世代的には、三国志末期に登場する武将たちとも時期が重なっているはずなのですが、三国志の小説やドラマでは「竹林の七賢」の面々が登場することは、あまりありません。
彼らは政治や戦に深く関わることを避けた人たちだったからです。でも、この七人、まったく三国時代の動乱と無関係だったわけではありません。特に注目すべきは、七賢の中の一人、嵆康(けいこう)です。彼は詩人で、音楽家でもあり、道教の「神仙思想」にも、「私は見たことがないし、伝聞で知っているかぎりだが」と慎重な姿勢ながらも、「世の中には神仙思想で言われるような神秘的な長寿者も、もしかしたらいるのかもしれない。神仙思想を究めれば千年もあり得るかもしれない」という考え方を持っていたようです。
実際、『養生論』という書物を著して、そこで120歳まで生きる方法を模索しているくらいですから、長寿の秘訣に関心が高かったようです。ところが、そんな嵆康が、よりにもよって三国志の動乱の犠牲者になってしまいました。
時の権力者・司馬昭から、官職を打診されたのを断ったがために目をつけられ、なんと処刑されてしまったのです。
このエピソードだけでなく、司馬師や司馬昭、あるいは司馬炎といった、司馬懿の子孫らは概してロクなエピソードがありませんよね。個人的な見解としては、むしろ彼らよりは「相対的には司馬懿のほうがマシ」だったと思うことすらあります。もっともその司馬懿、竹林の七賢が世に知られるよりほんの少し前の西暦251年に亡くなったため、竹林の七賢と出会っていた可能性は低いのですが。
司馬懿がもし嵆康に感化されて圧倒的な長寿を手に入れてしまったら?
しかし、ここであえて何とか、竹林の七賢と司馬懿を会わせてみましょう!
もし最晩年の司馬懿が竹林の七賢と会っていたら?その後の中国史に何が起きていたでしょうか?
司馬懿は竹林の七賢よりは年上ですが、最晩年に、まだ若き嵆康の思想をどこかで伝え聞き、「『養生論』?それは興味がある!」と、長寿維持の修業と神仙思想に覚醒してしまったら?
それによって本来の司馬懿が亡くなる西暦251年よりも、さらに何十年も生きながらえてしまったら?
とりあえず起きることとしては、司馬懿はその礼を言うために、竹林を訪れて、七人の賢者に直接会っていたことでしょう「君らのアイデアのおかげで、わしは、ほれ、こんなに元気に長生きになれたよ」と。そのまま竹林に居座って、竹林の八賢目になろうとするかもしれません。政治や陰謀を嫌う他の七賢が司馬懿の乱入にどう反応するか未知数ですが。
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長寿を手に入れた司馬懿、司馬昭の横暴を叱責す!
ただ、この世界線にはとても良いことがあります。先程述べた嵆康の処刑を、司馬懿が介入し、止めてくれたかもしれないのです。すなわち、司馬昭が嵆康を処刑しようとした時、竹林から司馬懿が降りてきて、「これ!その者はな、わしの寿命をグンと伸ばすヒントを授けてくれた者じゃ!処刑するでない」と。「え!父上!行方不明になっていたと聞きましたが。竹林の中で生きておられたのですか!」と司馬昭は仰天し、おそろしさのあまり処刑を取りやめてくれることでしょう。
その他にも、司馬師や司馬昭、あるいは司馬炎が何かをするたびに、竹林から司馬懿が現れて、ああだこうだと口を出すので、司馬一族には常にイヤな緊張感が張り詰めることでしょう。
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まとめ:聖徳太子の手紙を受け取った煬帝も「老害武将」司馬懿対策に翻弄される?
司馬懿が神仙思想にかぶれて、まだまだ、まだまだ、寿命を延ばしてしまったこの世界では、さらにいろんなことが起こります。
最大の違いは、司馬懿の孫の司馬炎が建てた晋王朝が崩壊し、東晋という一勢力に追いやられた時、「子孫たち、何をやっとるか!」と、また竹林から司馬懿が降りてきて、晋を建て直すかもしれない、ということです。この世界線では、なんと、古代中国の夢の対決、煬帝VS司馬懿が起こったかもしれません!
司馬懿が相手となれば、本来は中国統一王朝を建てるはずの煬帝も、独裁者として自在に振舞っている暇などなく、聖徳太子の「日出る国の天子」うんぬんの手紙に怒っている余裕も生まれず、ガチの天下二分の戦いを司馬懿と繰り広げたことでしょう!
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三国志ライターYASHIROの独り言
ただし、この世界線、はたして煬帝と司馬懿のどちらが勝てば中国にとってよい結果なのかが、よくわかりませんが。せっかく三國志の時代から超人的に寿命を延ばすことに成功した者が、よりによって司馬懿ともなれば、これはむしろ、究極の老害というべきか。
「誰だ?司馬懿は相対的にマシだなんて言ったのは?」って?はい、先ほどの私です、失礼しました…。
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