『水滸伝』は明(1368年~1644年)の時代に作られた小説です。中国では『三国志演義』に匹敵する人気を誇っております。
モチーフは北宋(960年~1127年)末期の小規模な反乱です。今回は筆者が気になる『水滸伝』のキャラクターについて紹介します。
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戴宗と胥吏
戴宗は足が速くなる神行法という術の使い手です。神行法は札を1枚使えば1日500里(約250キロ)、2枚使えば1日800里(約450キロ)走れる術です。通勤に便利な技です。寝坊した時は、この技を使いたいです(笑)
戴宗は梁山泊最後の戦いの方臘の乱も生き残っており、その後は朝廷から恩賞をもらいますが、辞退しました。最期は笑いながら天寿を全うするという『水滸伝』キャラクターの中では、まともな死に方をしています。ところで戴宗は梁山泊加入前は、江州(現在の湖北省宜都市)で牢番をしていました。
この牢番は、科挙受験をした正式な役人ではありません。「胥吏」という地元出身の役人です。胥吏は牢役人・首切り役人・経理係・家庭教師など種類が様々です。
胥吏は全てとは言いませんが、科挙受験の失敗者がなるコースが多いので、おそらく戴宗も科挙受験に失敗していると思われます。給料に関しては国からではなく、民からの仕事を引き受けて、その手数料で暮らしていたそうです。ちなみに、給料は正式な科挙合格役人よりも良かったそうです。
そのため「科挙合格するよりも胥吏の方が楽でいいぜ!」という奴もいたようです。中には地元のヤ〇ザと結託して民や中央の官僚にまでケンカを売ってくる人もいました。
この胥吏は宋代(960年~1279年)では社会問題になっており、北宋第6代皇帝神宗の時代には、宰相の王安石が対策を練るほどでした。しかし、それでも胥吏の悪行はおさまらず、なんと清(1644年~1911年)まで続きました。
筆者が1番許せないキャラクター 高衙内
高衙内は『水滸伝』の最強の悪党である高俅の養子です。
衙内は本名ではありません。「坊ちゃん」という意味です。筆者は中学時代に読んでいた時から、どうにもこの人が許せなかったんです(苦笑
高衙内は近衛兵の武術師範をしている林冲の妻に横恋慕します。ところが、林冲が強いものだからオヤジの権力を使って林冲を罠にはめます。その結果、林冲は流刑にされて、また何度も殺されかけました。
なんとか梁山泊まで逃げた林冲でしたがその後、妻が高衙内の執拗なストーカー行為に悩まされて、自殺に追い込まれた話を聞きます。普通ならそこから林冲の敵討ちの話が始まるのですが、なぜか話は別の方向に行きます。
林冲はそのまま妻の敵を討てないまま、生涯を閉じます。筆者は中学時代に読んだ時に、全く納得出来ませんでした。そもそも高衙内がその後の話に絡まなかったので、なぜだと思いました。小説なんだからせめて、読者をスカッとさせろと思いました。
実はありがたくない和尚さん 魯智深
もう1人気になるキャラクターと言えば魯智深です。この人は義侠心から人を助けたりすることが多いので、筆者は大好きなキャラクターです。今日は彼のあだ名について解説します。
彼のあだ名は「花和尚」です。読者の皆さんにはガッカリするかもしれないですけど、魯智深のあだ名の「和尚」は日本の和尚とは意味が違うのです。日本で和尚は偉い存在ですが、中国での意味は・・・・・・「クソ坊主」です。
もう1つ、「花」というのは「刺青」という意味です。だからの魯智深のあだ名の意味は、「刺青クソ坊主」です。もっと詳細に言いますと、よく魯智深はマンガや浮世絵で花の刺青をしていますが、そのような証拠は原文には無いのです。おそらく「花」という言葉から連想したのだと思います。
宋代史ライター 晃の独り言
以上が筆者の大好きな『水滸伝』のキャラクターについての解説でした。今回は3人だけですが、まだ解説したいキャラクターはいっぱいいます。それでは続きはまた今度にします。
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