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孫権の目の色はパープルだった!?

2019年10月19日


 

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二刀流の劉備

 

三国志には変わった風貌を持った人物が登場します。例えば益州を占領して蜀を建国した劉備(りゅうび)。正史三国志によれば劉備は振り返ると自分で耳を見えるほど大きな耳を持った人物で、手を下げると膝まで届く人物だったそうです。

 

呉の孫権は皇帝

 

また三国志の一角・呉を建国した皇帝孫権(そんけん)。彼もまた劉備と同じように変わった風貌の持ち主でした。

 

自称・皇帝
当記事は、
「孫権 目の色」
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関連記事:合肥の戦いで張遼が孫権を討ち取っていたら三国志はどうなった?

関連記事:孫権の髭はどんな髭?なんと孫権は異民族でもあった?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義に登場する孫権の容姿は?

孫権の髭

 

孫権は三国志演義によると、当時の中国人らしくない風貌の持ち主でした。孫権は「紫色の目(碧眼)をした人物」と異国人のような容姿で紹介されています。どうして孫権は上記のような容姿で紹介されたのでしょうか。

 

三国志演義には理由が記載されていない為、推測してみました。

 

碧眼だった理由とは?

三国志ライター黒田レン

 

孫権が碧眼だった理由はレンの推測になりますが、中国人と異国人との混血だったのではないでしょうか。

 

孫堅

 

混血だった理由として孫権の父・孫堅(そんけん)は、揚州の出身だったことが挙げられます。揚州は山越族などの少数異民族が多くいる地域で、孫権が皇帝として呉を建国した時も存在していました。

 

孫堅の妻

 

更に孫堅の父親は正史三国志によると役人で、孫堅の母親も高貴な出身の人物だったとは描かれていない為、一般の人だった可能性が高いと思われます。そのため孫堅の父親もしくは母親が異民族の血を引いていたとすれば、孫堅も異民族の血を引いていた可能性があります。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

そして孫堅が異民族の血を引いているのだと仮定すれば、孫堅の息子である孫権が碧眼だった可能性も考えられるのではないでしょうか。あくまでこれは三国志演義に登場する孫権の風貌(碧眼)であることに対するレンの予測になるのですが、上記の仮定があっているのだとすれば、孫権が碧眼だった可能性が十分にあったと思います。

 

正史三国志でも紫色の目をしていたの?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

三国志の正史でも孫権は碧眼だったと描かれているのでしょうか。

 

まず正史三国志呉書・呉主伝の「江表伝」に孫権の風貌に関する記載がありますのでご紹介しましょう。「江表伝」によれば孫権は「顎が張って口が大きく、瞳にはキラキラした光があった」と書かれています。

 

張遼の猛攻に泣きながら逃げる孫権

 

また呉主伝に掲載されている「献帝春秋」には張遼が合肥の戦いで捕虜にした呉兵へ「今さっき紫髯(あかひげ)の将軍で背は高いが足の短く、馬術と弓術に優れた人物がいたがあれは誰だ」と質問。すると呉の兵士は「将軍様の言う通りです。あれが我らが主・孫権様です。」と答えます。

 

ここで紹介したように孫権は正史三国志によれば、口が大きくて目がキラキラしており、背が高く紫髯で短足と表現されておりますが、紫色の目をしているとは記載されておりませんでした。ここから分かることは孫権が紫色の目をした容姿が描かれているのは、三国志演義の物語中の創作で、史実では孫権の目の色が紫色じゃなかったと言うことになります。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は孫権の目の色についてご紹介しました。「火のない所に煙は立たぬ」と言う諺があります。この諺の意味はまったく根拠がなければうわさは立たないと言う意味です。三国志演義は正史三国志を参照にしながら、創作の物語りを織り込んだ歴史小説です。

 

そのため三国志演義が書かれた時代(明の時代)、江東に住んでいる人々の中に目の色が紫色の(碧眼)人々がいたのではないでしょうか。そして、目の色が紫色の江東人を見た三国志演義の作者(羅貫中達)が、孫権も江東出身の人物なので目の色を紫色(碧眼)にしてしまえば特徴的でいいんじゃないかって事で、孫権の目の色が紫色(碧眼)になったのかもしれませんね。

 

これはあくまでもレンの妄想と推測を織り交ぜたお話なので、ご了承ください。

 

参考文献:

正史三国志呉書

三国志武将辞典など

 

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