今回見ていきたいのは、劉備の最初の参謀とも言える存在である徐庶です。
徐庶の存在は三国志演義での活躍が大きいにも関わらず、正史ではほとんど記述がないなど三国志演義から三国志に入ってきた人からすると驚かされる存在の一人と言えるでしょう。しかしその生涯を見ていくと、正史と演義の違いだけでなく、当時の歴史、時代背景なども窺い知れる面白い存在でもあります。
そんな徐庶の生涯を、まずは三国志演義と正史、両方見ていきましょう。
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この記事の目次
徐庶の生涯は、三国志演義と正史ではかなり違ってくる
三国志演義では徐庶は劉備の最初の参謀として、知謀を振るって活躍します。それまでは関羽や張飛の武勇あってこそでしたが、知略の凄さを見た劉備たちは参謀、軍師という存在の強さを目の辺りにすることになります。
が、徐庶の存在を知った曹操により、徐庶の母が曹操に囚われ、徐庶はそれが自分を劉備から引き離す策と知りながらも母親を見捨てられずに曹操の下に降ります。
しかし自分のために息子が劉備の元から離れたと知ると母親は自害してしまいます。
徐庶は自分の不徳を嘆くもその後、曹操が母親を手厚く葬った恩から曹魏に留まるも、劉備のために献策はしないまま歴史から姿を消します。
正史では徐庶は劉備の元に訪れ、徐庶は諸葛亮を三顧の礼で迎え入れることを進言。その後は諸葛亮と共に劉備に仕えようとするも、母親が曹操に捕らわれたと知ってやはり曹操に降ることになります。ですが正史では右中郎将・御史中丞を歴任、高官として厚遇されそのまま母親と共に魏で過ごして諸葛亮没年と同じ頃まで存命でした。このように正史では母親と共にそこそこ良い待遇で魏に在籍することとなったのです。
三国志演義における徐庶の存在
さて正史と演義ではかなり待遇が違う徐庶ですが、三国志演義では徐庶には重要な役どころが与えられていると思っています。それは軍師、参謀という存在が大切という事実を劉備と読者に与えること。言ってしまえばこの後に出てくる諸葛亮の偉大さを印象付けるための存在ですね。
しかし徐庶は正史のようにそこで終わりません、この後に母親の別離や劉備への恩義を忘れていない様子などの描写が入ります。
因みに徐庶と徐庶の母親のやりとりは三国志演義独自のものですが、恐らく項羽と劉邦の王陵のエピソードを元にしたものだと思います。こちらでは項羽が劉邦から王陵を引き離そうと彼の母親を人質にしますが、母親は王陵に劉邦に仕えるように、と伝手して自害するというエピソードです。
おそらくこれを基に徐庶の話が作られたのでしょう。
劉備の元に残っていたら徐庶はどうなっていた?
さてここでちょっと考察してみたいのが「徐庶が劉備の元に残っていたら」というもの。もし劉備から離れずにいたら徐庶はどのような評価を受けたと思いますか?
徐庶ファンからは怒られてしまうかもしれませんが、筆者は「徐庶は今よりも評価されていなかったのでは」と思います。言い方は悪いですが、徐庶は有能さで名が残っている訳ではありません。母親のために劉備から離反して曹操に仕えたことで、名前が残っているのです。
残ったとしても母親を見捨てて劉備に仕えた人物……という感じにしか残らなかった可能性は高いと思います。
ここで少し、後年の徐庶の評価について触れてみましょう。
この後年の評価こそが、徐庶が名前を残せた理由の一つだと筆者は考えています。
後年における徐庶の評価と時代背景
正史ではあまり出番がないですが、演義の影響もあって後年の評価は高いです。また徐庶の評価には母親のエピソードも関りが深いと考察できるのです。
儒教では親を大事にすることが重要なことだとされています。徐庶は劉備から離反しましたが、これは言ってしまえば主君よりも母親を大事にしたためですね。これが儒教思想の中で非常に評価されて、徐庶の評価が高くなったのではと思います。
このため三国志演義や以後の史書・魏書での評価を高くした……というと、徐庶の軍略家としての評価ではないのがいささか腑に落ちませんが。それでも三国志から見える当時の時代背景、と考えると中々興味深いと思いますね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は徐庶について、その生涯を追いながら色々なことに考察を巡らせてみました。
正史を追いかけるとほとんど記載がなくてがっかりしてしまう徐庶ですが、それとはまるで違う三国志演義での活躍や後年の評価について、調べていくと色々な関りが見えるのが面白いですね。
三国志演義から見ていくとちょっと正史でがっかりしてしまう徐庶ですが、記載された歴史やその後の評価を見て見るとたくさんのことが分かります。時に横道にそれるのも三国志の楽しみ、三国志から当時の歴史や時代背景を見るのも楽しいですよ。
参考文献:蜀書諸葛亮伝 魏略 漢書王陵伝
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