『三国志』に登場し、関羽や張飛と並ぶ英傑として、劉備を助ける趙雲。
『正史』の注釈によると、「趙雲は関羽張飛と同じように、劉備と並んで寝台で寝ていた」という記述があります。義兄弟どうしということで仲良しの劉備・関羽・張飛のウェットな関係に割り込むように登場しつつ、違和感なく寝台にまで迎え入れられてしまったわけです!
桃園の誓いは結んでおりませんが、それに匹敵する重要人物として、劉備にも重宝されていたのではないでしょうか?
ところが同じ『正史』の「趙雲伝」を読んでいくと、ある不安に駆られます。人間関係としては「関羽・張飛に匹敵」とされている趙雲ですが、「武力のほうも関羽・張飛に匹敵」するかというと、どうもいまいち、バリッとした記述がないのです。
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この記事の目次
『正史』を検証すると不安になってくる点:趙雲の武力って実際はどんなものだったの?
そもそも、「趙雲伝」においては武勇に関する言及が意外に少ない。
関羽や張飛は『正史』のほうにも数々の武功が書かれていて、「一人で一万の兵に匹敵した」という絶賛の言葉まで載っているのですが、それと比較すると、趙雲のほうの武力面が何だか薄く感じられるのです。
それも、晩年に将軍になってからの「指揮官」としての働きはいろいろ書いてあるのですが、劉備軍がまだ小規模だった頃、単身で敵軍に切り込んだり、一騎打ちをしたりといった活躍が必要だったはずの時代については、趙雲の描写はほとんどないのです。
唯一明確な描写がされているのが、長坂の戦いで劉禅と甘夫人を救った活躍。
こちらも「乱戦の中、夫人と赤ん坊を見事に救出するという手柄を立てた」というような言い方であって、武力で大軍を圧倒したというような華やかな印象の話ではありません。
これでは、「もしかしたら趙雲って、関羽や張飛と仲が良かっただけで、武力はあの二人と比較すると劣っていたのでは?」という疑いが出てきてしまうかもしれません!
冷静に考えると「長坂の戦い」の活躍一発でじゅうぶんに凄まじい!
しかし、見方を少し変えてみましょう。『正史』に出てくる趙雲の活躍で、唯一詳しい言及となっている「長坂の戦い」自体、よく考えるとこの一発だけでもじゅうぶんに「武力としては凄い」ことになるのではないでしょうか?
だいいち、夫人と赤ん坊を、曹操の大軍が雲霞の如く押し寄せている緊迫の戦場の中からどうやって救出したのか?
単身というわけではなかったでしょうか、大人数でもなかったでしょう。
おそらくは自らが馬に乗り、少人数の騎馬隊を随行させて乱戦の中に潜入し、敵軍に追われながらも戦場を捜索して回り、見事に二人を見つけ出し、生還してきたということではないでしょうか?
現代社会に置き換えてみると、思いつくことがあります。そう、これはまるで、現代のアメリカ特殊部隊が、敵地に潜入してテロリストのアジトから人質を奪取し帰国してきたようなもの!
つまり趙雲の武力は、いまでいうデルタフォースやネイビーシールズのような、潜入強襲型だったのではないでしょうか?
関羽や張飛のようなゴリ押しの武力とはちょっと違う、機動力に優れた武力の持ち主であったというわけで、じゅうぶんに「武力」というなら高レベルだったのではないでしょうか?
こうしてみると、さながらハリウッド映画に描かれるアメリカ特殊部隊のように、筋骨隆々ながらも潜伏任務に向いているシャープな体つきをした趙雲像が、できあがってきませんでしょうか?
まとめ:日露戦争やアフガニスタンでも「騎馬による潜入」は有効!趙雲は現代戦でも活躍できる!
そういえばアメリカの特殊部隊、『ホースソルジャー』という映画で詳しく描かれていることですが、アフガニスタンでは地元の民兵に混じって騎馬姿で現代戦を戦っていたそうです。
日本の近現代史でも、日露戦争の時には、『坂の上の雲』で有名な秋山好古の下に永沼挺身隊という特殊騎馬隊がいて、ロシア軍の陣地に潜入して後方撹乱をしたり、鉄道を爆破して補給を鈍らせたりと大活躍しています。
三国志ライター YASHIROの独り言
乱戦の中で赤ん坊を救出して帰って来られるだけの趙雲の機動力があれば、日露戦争やアフガニスタン戦争のような、「騎馬による潜入強襲が有効な近代戦」にも、対応できたかもしれない。
つまり趙雲の能力は現代の戦場でも通じるかもしれない?!
もし趙雲が現代に転生してきたら、アメリカの国防総省がスカウトに来ていたかもしれません!
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