建安13年(208年)に荊州の劉琮を降伏させた曹操は、そのまま孫権を討伐するために南下しました。
しかし、孫権は亡命した劉備と一緒に曹操を破ります。有名な赤壁の戦いです。小説『三国志演義』で諸葛亮は風を起こして風向きを変えます。
そこへ曹操軍は火を付けられてしまい敗走しました。それでは諸葛亮はどのようにして風を起こしたのでしょうか?
今回は小説『三国志演義』をもとに諸葛亮が赤壁の戦いにおいて東南の風を起こす過程を解説します。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています。
「赤壁の戦い 季節風」
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不安な周瑜
建安13年(208年)に曹操は孫権を討つために南下。孫権は長坂で敗走した劉備と連合して曹操に当たることにします。
総指揮は孫権軍の周瑜。劉備軍からは軍師の諸葛亮が派遣されていました。周瑜も諸葛亮も曹操を撃退するには火計しかないと考えます。
まず周瑜は黄蓋の偽投降作戦を行い曹操をだますことに成功。
さらに、龐統を曹操の陣営に行かせて全部の船を鎖で繋ぐ「連環計」を行わせます。
あとは曹操の船に火をつけるだけなのですが、どうも周瑜は不安がぬぐえません。なぜなら時期が11月だったからです。
11月は西北の風が吹きます。もし火計を行えば、南に陣を構えている周瑜たちが燃えるのです。実は曹操もそれを分かっており、敢えて出陣していました。「火計なんてヘッチャラだ。やれるものなら、やってみろ!」という感じです。
曹操の船団が近付いてくるにつれて周瑜は、さらに不安が募ってきました。そんなある日、大将旗が折れてしまい周瑜にぶつかります。こうして周瑜は担ぎ込まれてしまいました。
諸葛亮の秘策 東南の風の秘術
周瑜はそのまま寝込んでしまいました。だが本当はケガなんてしていません。曹操が恐ろしくなって仮病を使っているだけです。周瑜の仮病を見抜いていた諸葛亮は周瑜に会いに行きます。
「周瑜殿は西北の風が不安だから、寝込んだのでしょう」と諸葛亮は言い当てました。前から諸葛亮に全ての作戦を見破られていた周瑜は、「参りました」と降参します。
さすがに可哀そうになったのか諸葛亮は、「私に任せてください。私は八門遁甲(はちもんとんこう)という秘術を持っています。東南の風なんてあっという間に、吹かせてみせます」と言いました。
周瑜はわらにもすがる思いで急いで南屏山に祭壇を準備。「スイマセン、後はよろしくお願いします」という感じになります。
吹いた東南の風と諸葛亮の逃走
さて、諸葛亮は祈祷中は静かにして、また人も近付けないことを約束させました。周瑜は了承します。それから3日経過するも、まだ風が吹きません。「諸葛亮は、ホラを吹いたのではないだろうな?」と周瑜は不安になりました。
「それは無いと思いますけど・・・・・・」と魯粛はコメント。考えても仕方ないので周瑜は休むことにしました。
周瑜が寝てしばらくすると、兵士たちが騒ぎ始めます。何事かと思って起きた周瑜が外に出るとびっくり!風向きが東南に変わっていたのです。
「良かったですね」と魯粛が言いましたが、周瑜の顔は真っ青。急に徐盛と丁奉を呼び出すと何か言いつけました。
魯粛がどうかしたのか尋ねると周瑜は「諸葛亮を殺す」と言います。周瑜は天候まで操る諸葛亮が急に恐ろしくなったのです。生かしておいたら今後良いことはありません。さっさと殺すのが得策でした。
一方、こちらは徐盛と丁奉。祭壇を探しましたが諸葛亮はいません。どこに行ったのか人に尋ねると船着き場に行ったとのこと。
「逃げられた」と思った2人は急いで船で追撃します。しばらく追撃するとやっと諸葛亮の船が見えてきました。
「戻ってください!」と声をかけた2人ですが諸葛亮は、「もう東南の風になったので後は戦ってください!」と言って立ち去ろうとします。それでも諦めきれない徐盛と丁奉。するとそこへ1人の男が登場します。
趙雲でした。「邪魔をするのなら、この私が相手をしよう」と言います。相手が趙雲では敵わないと思った徐盛と丁奉はすぐに引き返します。
諸葛亮の逃走を知った周瑜は悔しがりますが、とりあえず目の前の曹操と戦って見事に打ち破ることに成功しました。
三国志ライター 晃の独り言
こうして赤壁の戦いに勝利した周瑜でしたが、次は荊州をめぐって諸葛亮と2年に渡り攻防を繰り広げます。
だが、最後まで勝つことが出来ずに建安15年(210年)にこの世を去りました。今回、諸葛亮を追撃した徐盛と丁奉は正史『三国志』では赤壁の戦いに従軍していたという記録はありません。小説『三国志演義』の虚構です。
もし本当に丁奉が従軍していたと推測したら15~20歳です。彼は孫晧の時代まで生きていましたから・・・・・・
横山光輝氏の『三国志』に登場する丁奉は、赤壁の戦いの時点でイギリスの紳士みたいなヒゲを生やされており、とてもじゃないが15~20歳に見えません。
「あら、いい男」と筆者は思ってしまいました。
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諸葛亮が好き、または周瑜が好きという人はコメントをどんどんください。
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