丁奉(ていほう)ってどんな人?呉の混乱期において、呉を支えた重臣


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丁奉(ていほう)

 

丁奉(ていほう)は、三国時代も後半期の呉の武将です。孫権(そんけん)の死後は、呉は混乱期になり、国力は減少の一途をたどります。このような状況の中、呉軍を率いて活躍した人物です。


たたき上げの武将・丁奉

影の薄い孫権

 

丁奉(ていほう)は盧江郡出身の武将です。朱然(しゅぜん)徐盛(じょせい)のように孫権に気に入られたわけでなく、甘寧(かんねい)陸遜(りくそん)、潘璋(はんしょう)など諸将の指揮下に入り、戦場で兵士と共に駆け回って、敵将を何人も討ち取って実績を重ねてきた、たたき上げの武将です。彼は、兵士と共に戦場を駆け回ったので、体中に傷を負っていたと伝えられています。孫権は彼の努力を認め、偏将軍に任命します。孫権が亡くなり、呉の二代目皇帝に孫亮が就くと、討冠将軍に累進します。


東興の戦いで大活躍

諸葛格(しょかつかく)

 

魏は孫権の死後、呉の領地である東興に侵攻してきます。呉の丞相・諸葛格(しょかつかく)は魏の軍勢を迎撃するため、諸将に出陣命令を出します。丁奉も諸葛格の命令を受けて東興に向けて出陣します。諸葛格は東興に着く前に会議を開きます。


会議で丁奉と諸葛格の意見は対立をする

会議で丁奉と諸葛格の意見は対立をする

 

呉の諸将は会議の中で「丞相自ら出陣したのだから、魏の軍勢は恐れをなして逃げるであろう」と楽観的な意見を述べます。丁奉は、数々の実践経験から諸将に「戦はそんなに甘いものではない。戦う覚悟をもって臨むべきだ」と戦の心構えをするように警告します。諸葛格は東興に上陸します。しかし丁奉は、諸葛格とは別行動を取り、呂拠や唐咨らと共に山岳地帯へ進軍しました。しかし呂拠や唐咨らの軍の行軍速度が遅いため、彼らを置き去りにし、丁奉は3000人の軍勢を率いて敵陣に急行します。そのおかげで敵陣近くの徐唐と言う地に陣を敷きます。丁奉は早速敵陣に間諜を放ち、調査を開始します。その結果、魏軍の先鋒は酒盛りをしているとの報告を受け取ります。丁奉はこの報告を聞いて、すぐさま敵陣に奇襲をかけ、敵陣を大混乱に陥れて敵陣を撃破します。呂拠や唐咨らの軍勢が遅れて到着し、攻撃に加わったことで敵陣は壊滅的なダメージを受けて、魏軍は退却します。丁奉はこの戦いの功績により、呉の二代目皇帝・孫亮から都郷侯に任命されたのです。

 

【呉のマイナー武将列伝】
呉の武将


丞相・孫綝を討つ

 

呉の二代目皇帝・孫亮は、丞相である孫綝によって、皇帝の位を追われてしまいます。そして三代目の皇帝に孫休が就くことになりました。孫休は即位すると、側近である張布に「傲慢極まりない孫綝を討ちたいがどうすればよいか」と尋ねます。張布は少し悩んだ後に「丁奉は長年戦場での経験が豊富で、計略に優れています。彼に尋ねては如何でしょうか」と進言します。孫休は張布の進言を取り入れて、丁奉を呼び寄せ、孫綝打倒の方法を尋ねます。丁奉は「孫綝を群臣が集まる祭りに呼び寄せ、捕えてしまうのは如何でしょうか」と孫休に提案します。孫休は、すぐに丁奉の意見を取り入れ、祭りの席に孫綝を呼び寄せ、丁奉と張布で彼を捕え、処刑します。この功績により大将軍になります。

 

暴虐の皇帝孫晧に仕える

暴虐の皇帝孫晧に仕える

 

孫休が、亡くなり、呉の皇帝に孫晧が就きます。孫晧は、皇帝の位に就くとすぐに残虐性をむき出しにし、気にくわない家臣を罪に陥れ、次々と殺害していきます。丁奉は、皇帝の暴虐さを目の当たりにし、孫晧の側近である留平と数人の臣下と共に殺害をもくろみます。留平が、実行日当日になって協力を断ったため、暗殺は失敗に終わります。

 

何で留平は協力を断ったの?

 

なぜ留平は当日になって協力を拒んだのでしょうか。理由は、いくつかありますが、丁奉と仲が悪かったのが主な要因とされています。この時孫晧を殺害していれば、呉はもう少し長く、余命を保つことができたかもしれません。さて暗殺に失敗した丁奉ですが、孫晧に暗殺の事は気付かれず、晋の穀陽へ攻め込むよう命じられます。丁奉は穀陽に攻撃を仕掛けますが、あらかじめ探知していた穀陽の住民に察知され、何も戦果を挙げる事が出来ませんでした。そのため丁奉軍の道案内をしていた者が斬られてしまいます。丁奉は、穀陽侵攻戦の二年後に亡くなります。孫晧は、丁奉が亡くなったことを知ると、すぐさま彼の家族を田舎に強制的に移住させます。なぜこのような事を行ったのでしょうか。

 

詳しくはわかりませんが、孫晧は何らかの理由で丁奉を嫌っておりましたが、軍のトップをすぐに罰を与えることはできないので、彼の死後、家族に嫌がらせをしたのではないでしょうか。このように考えると家族に嫌がらせをした辻褄があうと思います。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

民間の伝説に丁奉は飛礫(つぶて)の名手として伝承が残っており、現在も彼の銅像には飛礫を持った姿で祀られているそうです。丁奉の銅像を見る機会がありましたら手元に注意して見てはいかがでしょうか。

 

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