曹操と言えば身分などにとらわれず、幾人もの才覚溢れる武将、文官たちを召し抱えた人物。そのため数々の優秀な人物たちを配下に加えたことで有名です。
今回はその中から「虎痴」と呼ばれた武将、許褚についてお話したいと思います。虎痴と呼ばれた理由や、その虎痴の視線の先にあったもの……そういったことをいつものように筆者の妄想たっぷりでお届けしますね。
この記事の目次
許チョが召し抱えられた経緯
まずは許チョが曹操に召し抱えられた経緯をおさらいしていきましょう。正史では許チョは黄巾の乱の際に一族郎党で砦を築き、敵と戦っていました。
そんな中で食糧不足になったために黄巾賊と和睦しますが、この時に賊相手に牛と食料を交換、逃げた牛の尻尾を掴んで引きずり回したので驚いた賊が逃げてしまったという怪力乱神っぷりを見せつけています。その後、許チョは手勢を引き連れ曹操に帰服して曹操に召し抱えられ、側近の護衛として可愛がられることになりました。
三国志演義では少しエピソードが加えられる
この正史での話に、少し演出を加えたのが三国志演義でのエピソードになります。
曹操が黄巾賊の残党を典韋に対峙するように命じますが、この際に割り込んできた人物が許チョ。許チョ自体もその土地で長く黄巾賊の残党と争っていたので、黄巾の総大将と言う手柄を巡って許チョと典韋は一騎打ちになります。曹操は典韋と互角に渡り合える許チョに驚き、配下に加えようと考えるのです。
筆者は横山三国志で最初にこのシーンを見たのですが、許チョが落とし穴に落とされて捕縛され、連れられてきたのを見た曹操が驚いて許チョに謝罪する絵が強く心に残っていますね。何はともあれ曹操の護衛役だった典韋との話を挿入した三国志演義のこのシーンもとても大好きです。
「虎痴」というあだ名
そんな許チョの有名なあだ名が「虎痴」です。この名前は戦の時は虎のように猛々しいのに、普段はぼーっと過ごしていることからきています。「痴」という字はぼーっとしているということなのですね。
これだけ見ると何だか褒めているんだか、バカにしているのだかちょっと複雑な気分になってしまいますが、ここで少し考えてみたいのが「許チョは本当にぼーっとしていたのか」ということです。
許チョの数々の逸話
いつもはぼーっとしている、と言われる許チョですが、実は度々曹操の命の危機を救っている人物です。曹操の暗殺を阻止した徐他の話の中ではなんと「胸騒ぎがしたから駆け付けた」というある意味とんでもないエピソードが正史で記述されています。
また馬超・韓遂との戦いの中では馬超と互角に一騎打ちをしたり、曹操が彼らと会談する際には常に目を光らせ、曹操の警護に当たっていました。これらの記述、逸話を見ていると普段はぼーっとしている、という許チョの姿はどんなのだったのか、そもそも本当に許チョはぼーっとしていたのか?という疑問が湧いてくるんですね。
そこで考えたのは「許チョはぼーっとしているように見えただけでは?」というものです。
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