以前にもいくらかお話しましたが、今回は袁紹について再びお話しましょう。曹操の噛ませ犬扱いにされることが多い袁紹ですが、他の三国志の英雄たちに引けを取らないとても魅力的な人物でもあります。
そんな袁紹は名門、名族と言われるけれど、そもそも袁家はどれほど凄いか良く分からないという人も多いと思います。なので今回はどれだけ袁家は凄いのか?について解説していきましょう。袁紹を育てたとも言われる叔父・袁隗についてもご紹介しますね。
この記事の目次
名族袁家に生まれた袁紹
さて名族、名家出身の袁紹。良くお金持ちのボンボンのように思われることがありますが、袁紹自体は実はそこまでボンボンではありません。以前にもお話したことがありますが、袁紹の母親は身分の低い女性でした。
もしかしたら侍女にお手つきして生まれた可能性がある袁紹、そんな彼は「凡才であれば名が史書に記録されるような立場にはなかった」と言われる存在だったのです。よく彼が自分の家が名家であることを誇っているような設定にされますが、その家の中で自分の身分が低かったと考えると何だか少し袁紹の見方も変わってくると思います。
名家袁家はどの辺が名門なの?
そんな袁紹は名門、名家袁家の出身……と言われても、どの辺が名家なのかについても少し説明しておきましょう。袁家は四世三公を輩出した名家です。この「四世三公」というのは四世代に渡り三公という役職を輩出した、という意味です。そして三公とは「太尉、司徒、司空」という官職であり、これは要職でもあり当時の最高位となります。
三公ってどれだけ凄い?
と言われても三公の凄さは伝わりにくいと思いますので、もう少し三公について解説を。当時の三公は国政に関する政策全般を統括する官職でした。現代で言ってしまえば政治家のトップクラスと言っていいでしょう。因みにこの三公は日本にもかつてあったもので、律令制における太政官の長である太政大臣、左大臣、右大臣のことを指示していました。ただし後にこの三公は曹操によって廃止されてしまいます。
袁家の凄さ
では袁家の凄さを再び解説するために、四世三公に戻りましょう。四世三公とは四世代に渡り三公という役職を輩出したという意味、これの凄い所は「三公」を「四世代」に渡って輩出しているという所です。一人出ることならば有り得るでしょう。しかし四世代もの長きに渡ってというのは中々有り得ることではありません。長い年月の中で袁家がどれだけ優秀な家系を持ち、力を持っていたかも分かるというものです。
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