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シモ・ヘイヘとはどんな人?射殺人数世界一のスナイパー


 

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シモ・ヘイヘ(スナイパー)

 

シモ・ヘイヘは、フィランドの軍人で世界一の狙撃記録を持つスナイパーです。特にフィンランドとソビエト連邦との間で起った冬戦争(ふゆせんんそう)ではソビエト赤軍から白い死神と呼ばれて恐れられました。

 

シモ・ヘイヘが射殺した兵士数は542名と史上最多で冬戦争の勝利に大きく貢献。2002年にフィランド国営放送が発表した「最も偉大なフィンランド人ランキング」で第74位に選ばれました。今回はフィンランドの愛国スナイパーシモ・ヘイヘを紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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猟師だったシモ・ヘイヘ

八甲田雪中行軍遭難事件(雪山)

 

シモ・ヘイヘは現在のロシアとの国境近くにあるラウトヤルヴィという小さな町で生まれました。軍人になる前には猟師兼農民として働き、20歳の頃に民兵組織「白衛軍(はくえいぐん)」に加入、射撃大会にもたびたび参加し、家には多くのトロフィーが飾られていたようです。

 

ヘイヘは、根っから狙撃が好きな人で、農家での仕事の昼休みに他の男が昼寝をしているのを他所に、ヘイヘだけは昼寝もしないで、あらかじめ森の端につけておいた目標をめがけ建物の窓から空砲で狙撃練習を繰り返しおこない、全員が起きてくるまで撃ち続けていたそうです。

 

1925年、20歳になったシモ・ヘイヘは15カ月の兵役義務でフィンランド国防陸軍に入隊し、新兵訓練を第1自転車大隊で過ごし、下士官学校を経て兵長となり、残りの任期を第2自転車大隊で過ごし、除隊後は予備役に回り、民間防衛隊に入隊します。

 

ソビエト、フィンランドに軍事進攻、冬戦争始まる

 

1939年8月23日、ドイツとソ連は不可侵条約(ふかしんじょうやく)を締結し秘密議定書(ひみつぎていしょ)により、独ソによる東欧の勢力圏分割が約束されます。

 

ソ連は、ドイツに認めさせた密約に従い、バルト三国とフィンランドへの圧力を強め、バルト三国に対し軍事基地の設置とソ連軍の駐留を含む相互援助条約を結ばせました。

 

ソビエトはフィンランドにも国境線の変更や軍事基地の設置、ソ連軍の駐留を求めますがフィンランドは拒否し交渉は決裂します。そこで、ソビエトは実力行使に出ました。ソ連は自らの国境警備隊がフィンランド軍から発砲を受けたとでっち上げ1939年11月30日にフィンランドに侵攻します。

 

これが冬戦争で、1940年の3月13日まで続き、一時の講和帰還を挟み、継続戦争として1941年6月25日から1944年9月19日まで続きます。シモ・ヘイヘは、予備役兵長として招集され、フィンランド国防陸軍歩兵12師団第34連隊第6中隊に配属され、故郷の町に近いコッラー川周辺の防衛任務につきます。

 

古代オリンピック

 

ソ連の自作自演はなんのため?

 

ところでどうして、ソ連はフィンランド軍に発砲を受けたと自作自演をしたのでしょう?

 

それは国際法で侵略戦争が禁止になっていたからです。しかし、国際法は侵略の定義を曖昧(あいまい)にしていたので、少なくとも自分から「他国を侵略するぞ!」と宣言して攻め込まなければ、自衛戦争と解される余地が残されました。

 

そこで、ソ連はフィンランド軍にソ連国境警備隊が攻撃され自国の安全保障が脅かされたので自衛目的で攻め込んだという建前を必要としたのです。

 

この、戦争目的を自衛にすれば、事実上、どこにでも攻め込めるという理屈はソビエトばかりではなくアメリカも多用し、ベトナム戦争も、イラク戦争もアメリカの安全保障への重大な脅威として攻め込んでいます。

 

白い死神の誕生

 

シモ・ヘイヘが配属された第6中隊の指揮官は、フランス外国人部隊勤務経験を持ち「モロッコの恐怖」とあだ名されたアールネ・ユーティランネン中尉でした。ユーティランネン中尉は、民間防衛隊での射撃成績から判断し、ヘイヘを特定の小隊に配置せずに最も能力を有効に発揮できる狙撃兵の任務を与えます。

狙撃するシモ・ヘイヘ

 

それは、ヘイヘのスナイパーとしての能力を最大限に生かし、平均気温マイナス20℃から40℃という極寒の中を、ヘイヘは雪に紛れる純白の迷彩服を着こんで音もなく狙撃を行い、次々とソビエト赤軍の兵士を射殺していきました。ヘイヘは無駄撃ちをせず、狙った標的の頭部を正確に撃ち抜いて殺したので、赤軍兵士から白い死神とあだ名されます。

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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