歴史には、そして物語では、短命の天才が良く出てきます。特に物語に置ける若くして命を落としてしまう天才というのは、定番と言っても良いでしょう。こういったキャラクターの良し悪しの話は置いておくとして、どうして天才と言うと短命のイメージがあるのでしょうか?
今回はそんな天才と短命の関係について、ちょっとお話してみたいと思います。
この記事の目次
天才とは?
さてここでまず天才の定義をちょっとおさらいです。
天才とは天性の才能、つまり生まれつき持った才能の持ち主、ということですが、前人未到の偉業をなした人や、まだ若いのに高い能力を持った人への称賛にも使われる単語です。
また例外として後年で評価が変化して、死後に天才と言われるようになる人もいます。
天才は必ずしも短命ではない?
ちょっと再確認しておきたいのは、天才は「必ず」短命ではないということです。例えば天才として名高い人物の一人であるアインシュタインは、76歳で亡くなりました。これは決して短命、早死とは言わないと思います。
つまり「天才の内」で、「短命」の「天才」が注目され、天才が短命であると言われるのではないか、ということです。では天才が短命と言われる理由を、ちょっと挙げていきたいと思います。
短命の天才と言われる理由1
まず一つの理由として「印象」が挙げられます。例えば失礼な言い方をすれば、ごく普通の人が若くして亡くなった、それは悲しいことです。ですがその一人一人を歴史的に残したりはしないでしょう。
しかしもしその人が前途を有望視された天才だったら?偉大な人物の血を受け継ぐ人物だったら?
そうなると人々の記憶に残りやすくなり、記録されやすくなり、その結果として短命の天才がイメージとして残るのだと思います。
短命の天才と言われる理由2
次に挙げたいのが「注目」です。才能のある人ほど注目されます、人々の関心の的であり、一挙一動に人々が意識を動かします。しかしそれは必ずしも良い意味でとは限りません。
三国志を例にすれば孫策、彼は若くして破竹の勢いで邁進していきましたが、恨みをかったことから若くして亡くなりました。そんな彼のような人たちに憐憫の情を込めて、短命の天才、と言われるのかもしれません。
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