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この記事の目次
短命の天才と言われる理由3
そしてかなりあり得るのではないか?と思うのが「ストレス」です。
若くして、ではありませんが三国志では呂蒙や周瑜の死因にはかなりストレスがあったと思われます。人に注目され、能力をかわれて重要な役職を与えられ、常に実績を上げ続けなければいけないというのは常にかなりのストレスになるでしょう。
そのストレスを上手くかわせればよいですが、かわされないと身体を壊してしまうことになります。それが若くしてとなるとかなりのプレッシャーでしょう。そういう意味では、短命の天才というのは始終ストレスに悩まされていた生涯……とも言えるかもしれません。
注目される人物
いくつか挙げましたが、結論からいうと天才というのは注目される人物です。注目されるからこそ、記録として、記憶として人々の中に残り、それは時として命を縮めてしまうのだと思います。凡人がうらやむ天才も、人知れず悩みを抱えているのかもしれません。そう思うと短命の天才とは、皮肉な存在とも言えますね。
ちょっとだけ……
最後にちょっと、ちょっとだけ筆者の邪推を言ってみたいと思います。短命の天才は「夢」と「結果」……というのがあると思うのです。短命だから惜しまれた、もっともっと活躍していたら……そんな有るかもしれない、無かったかもしれない、そういう夢が見れるのです。
10代までは親孝行、周囲に優しく、才能があった……しかし40過ぎてからは暴君で、人々を苦しめた……こんな人物がいたとしたら、10代で亡くなれば「短命の天才」ですが、長生きすれば「悪逆非道の暴君」として残るでしょう。
そういった在ったかもしれない夢が見れる、在った現実は最期に印象が残らない……そういう面もあると思うのですが、どうでしょうか?
三国志ライター センのひとりごと
今回は三国志とはちょっと離れて、天才についてお話してみました。しかし若死とはいかないまでも、三国志ではその死を嘆かれる武将たちも幾人も出てきます。
「惜しまれて死ねるが幸せか」「名を残せずとも静かに息を引き取れるか」……難しいところですね。しかしそんな人々のドラマとロマンが詰まった三国志、皆さんももう一度一人一人に焦点を当てて、楽しんでみてはどうでしょうか。
参考文献:天才 wikipedia
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