キングダム651話雑学「秦の占領政策とは本当はどういうモノ?」

2020年8月26日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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内容に納得がいかないkawauso様

 

大人気春秋戦国時代漫画キングダム、秦の蒙武がいきなり楚の満羽や千斗雲と激突している所ですが、ここでもkawausoは、リアルキングダム雑学として、本当の秦の時代に迫っていきますよ。

今回は、秦に支配された土地は、本当はどうなるかについて解説してみましょう。

 

キングダム651話雑学「最初にやったのは城壁のぶち壊し」

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

敵地を征服した秦軍がやった事、それは城壁のぶち壊しでした。

当時は戦乱の世なので、都市が城壁で覆われているのが当たり前なんですが、土地を占領した秦はまず城壁をぶち壊します。

これにより、仮に占領地で反乱が起きても、城内に立て籠もるのが不可能になるからです。

しかし、すべての占領地の城壁を破壊したわけではありません。異民族や敵と接した都市の城壁はそのまま残していました。

 

それと、関中周辺の都市も咸陽に近いので、城壁をそのまま維持していた事が分かっています。

 

キングダム651話雑学「遷陵縣の戸数」

洛陽城

 

ここからは、実際に秦が始皇25年、紀元前222年に遷陵縣(せんりょうけん)を置いた元、楚の一県について見てみましょう。

遷陵縣には、都郷(とごう)、啓陵郷(けいりょうごう)、貮春郷(にしゅんごう)という3つの郷が置かれ、人口はそれぞれ54戸、22戸、76戸で全体では152世帯あります。

人口で考えると1000人を少し超える程度の小さな県と言えるでしょう。

ただしこれは、この辺の全ての人口というわけではなく、土地の秦の役人が把握している人口という事です。

 

実際は、楚の周辺はこの時代もそれ以後も異民族だらけでした。

 

キングダムネタバレ考察

 

キングダム651話雑学「遷陵縣の人口構成」

餓えた農民(水滸伝)

 

しかし、遷陵縣の人口が全て、楚人かと言うとそうではありません。

キングダムでもお馴染みの秦の領内民族大移動というものがあり、秦は新しい領地が早く秦に馴染むように別の土地から、強制的に秦の人民を連れてきて住まわせていました。

 

それも半端な移動距離ではなく、元々は斉に住んでいた人民まで、強制動員で連れて来たケースがあった事が木簡から分かります。

あと1つの人口は、周辺の異民族で、なかには一戸で成人10人が住んでいるケースがあり、これは異民族の酋長に若者が率いられているケースではないかと考えられています。

漢帝国の宿敵で匈奴の名君(匈奴族)

 

秦は、異民族の習俗については無理やり変えず、税金も別の税を課す事で戸籍も別にしてすみ分けをしていたようです。

 

キングダム651話雑学「異常に多い役人の数」

株式会社三国志で働く劉備と孔明

 

遷陵縣は152戸の人口しかありませんが、一方で秦は、この県にどの程度の役人を置いていたのでしょうか?

それは店員で103名という膨大な数でした。実際には53名と半分以上が欠員しているものの、それ以外の秦の県では多くても40名しかいないので、とても多いという事が出来ます。

 

では、どうして、こんなに多いのか?

 

それは、遷陵縣で公共事業、食糧生産、牧畜、手工業の実施や金や鉄の採掘などに充てる為のようです。

蜀の兵士

 

そして、遷陵縣に派遣されている役人の多くは、すでに秦に支配されて長い、漢中や巴蜀の人間でした。占領地である遷陵縣に、秦の法律や行政に詳しい人がそういるわけもないので、彼らは単身赴任で家族を置いて、こんな僻地に飛ばされてきたのでした。

 

知識人階級で、庶民よりはよい暮らしをしている役人でも、遠くから移動させられる苦悩は同じだったんですね。

病気になった兵士

 

秦の僻地の役人不足は深刻で、病弱な人間や、不正をして普通ならクビになる役人まで僻地に飛ばして人数不足に対応していたようです。

不正役人はともかく病弱な役人を僻地に飛ばしたら、もっと具合が悪くなりそうですけどね・・

キングダム651話雑学「遷陵縣の動力 囚人」

罪人(囚人)

 

遷陵縣の公共事業の担い手は囚人でした。

人口1000人を越える程度の遷陵縣ですが、囚人は300から400名ほどもいて、役人に使役されていました。

 

損耗率は1年間に6人に1人が死んでいるので、16%位とかなり高いです。

でも、囚人は次から次に送り込まれてきたらしく供給不足は起こらなかった模様です。

そりゃあ驪山陵の土木工事に何十万も囚人を動員できるレベルですからね。

秦では法律を犯さないでいる方が難しそうです。

 

キングダム651話雑学「遷陵縣の兵力」

行軍する兵士達b(モブ)

 

遷陵縣の兵力は600名で、それ以外の秦の県の平均300名の倍存在しています。

つまり、遷陵縣は人口1000人超えの土地に100名の役人、そして400名の罪人に600名の兵士という人口に匹敵する兵力と罪人がいる歪な構造をしていました。

 

これらの兵士の中にも、適戍と呼ばれる租税未納者や、逃亡者、商人などが含まれています。罪人になるか兵士になるかの差は、秦では割合曖昧な匙加減だったようです。

 

また、秦では、呂不韋のような大商がいるわりに商人が差別されており、戦争があると真っ先に動員されたりしていました。

もし、リアルなキングダムの辺境の都市を歩いたとしたら、やたら目に付くのは、役人に働かされている囚人と兵士だったりするかも知れません。

 

キングダム651話雑学「危ない!遷陵縣」

黒山賊

 

そして、人口1000人程度の遷陵縣に600名も兵士がいるわけですから、

ここが多くの異民族、あるいは、秦に服していない楚の残党に狙われている土地だった事を裏付けます。

フロンティアと言えば、聞こえはいいですが、こんな危ない所に強制的に移動させられる庶民や役人や兵士や囚人は、非常に不安だった事でしょう。

もっとも、秦はそれを繰り返して勢力を拡大したのも、また事実なんですけどね。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は秦の占領地支配のリアルについて解説してみました。占領地は奪い取るよりも維持する方が難しいものです。

キングダムでは、人民の移動を司るのは李斯(りし)のようですから、あの人はあの人で、人に言えない苦労のあれこれがあるんでしょうね。

参考PDF:秦代遷陵縣志初稿 里耶秦簡より見た秦の占領支配と駐屯軍

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。「はじめての三国志」編集長。三国志・中国史を中心に、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を執筆・編集し、当サイトでは4,000本以上の記事を担当。三国志は正史から入ったため、演義を書くときのほうが神経を使うという天邪鬼。故郷・沖縄の歴史に関する勉強会の開催や、ラジオパーソナリティとしての活動も行う。

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