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ウホホ本の始まりは殷の紂王

2021年8月20日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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後漢の光武帝には秘蔵の美人画コレクションがあったそうですが、今でいうウホホ本も古代中国にはありました。

 

後漢書(書類)

 

前漢の劉向が書いた「列女伝」孽嬖(げつへい)伝には、悪名高い、殷の紂王が画家に命じて男女のウヒョ図を描かせた事が記されています。

 

紂王

 

さすがは紂王、酒池肉林、ドスケベですな!と言いたいところですが、実際には中国のウホホ本は房中術の流れを汲むもので、健全にウヒョを楽しみ健康を増進する目的で描かれていました。ウホホメインではなく健康メインなんですね。まあ、健康じゃないとウヒョは出来ませんので、間違ってはいないです。

 

月刊人妻を購読する曹操

 

そうだとすると、三国志の時代にもあくまで房中術のくくりでウホホ本があったかも知れません。なんとなく大義名分のような気もしますけど…その後、明の時代には春宮画と呼ばれる房中術のための解説図が登場。日本に輸入されて大流行し、やがて模倣されるようになり春宮画が短縮され春画になったようです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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