賈逵は怒りを我慢すると体に瘤が出来る体質だったそうです。以前、弘農郡に居た時に典農校尉と諍いを起こしましたが、首尾よく解決しませんでした。すると怒りの余り賈逵の肉体には瘤が出来て、日に日に大きくなります。
賈逵は外科手術で瘤を取ろうと曹操に名医を紹介してもらおうとしますが、
曹操は「おお賈逵よ、瘤の手術は、十人中九人までが死ぬと言うぞ、それでもやるのか?」と諭しました。
賈逵は構わずに手術しましたが、その後も瘤は大きくなる一方だったそうです。三国志の時代、瘤の手術は死ぬ確率がかなり高かったようです。おそらく悪性腫瘍で瘤が癌化していたのでしょう。
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