西暦229年、それまで呉王で満足していた孫権がなにを思ったか、突如皇帝に即位してこの時から三国志が成立します。しかし、自分達こそが唯一の正当な王朝だと自負する蜀では孫権の裏切りに怒り心頭。
大体、あのアル中ヒゲダルマは長江の南に陣取っているだけで、ろくろく我々に手を貸した事もない同盟なんぞ組んでメリットがあるのか?と非難ごうごう遂には、孫権と絶縁すべきだ魏と同じく討伐すべきという意見が多くでました。それに対して諸葛亮は以下のメリットを挙げて反対します。
諸葛亮による孫権同盟のメリット
孔明は、「君たちの意見はいずれも正しいように見えてすべて間違っている」と言い「魏が漢水を越えて呉に攻め込んでいかないのと呉が長江を越えて魏に攻め込まないのは一見同じに見えるが、実はまるで違うのだ。魏が呉を攻めないのは勝てないからではなくその時期ではないからであり、逆に呉が魏を攻めないのは、勝てないので魏が弱るのを待っているからである。孫権の本質は魏にせよ、蜀にせよ相手が弱ったら動き、奪うという消極的なものでだから我らに味方して動くという事がないと見抜いて孫権が信用できないのは当然の前提とします。しかし、その上で諸葛亮は同盟により、孫権が積極的に蜀を襲わないメリットを説きます。
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孫権は役立たずだが、長江の南に布陣するだけで魏は兵力のいくらかを呉に向ける必要が生じる。その分だけ、我が国が相手する魏の兵力は減る。
以上の2点が諸葛亮の言い分ですが逆に言えば、この2点以外に孔明は孫権については期待していなかったとも言えますね。
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