広告

官渡の戦いで有名な官渡城は城ではなく砦だった【三国志プチ雑学】


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

荒れる黄河

 

官渡の戦いで有名な官渡城ですが、実際には城ではなく砦だそうです。この地域には黄河を含め川が密集していて、黄河の反乱の度にあふれた黄砂が堆積していました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



黄砂とは?

曹操

 

黄砂はシルトと呼ばれるキメが細かい微粒子で、詰め込むとどこまでも硬くなる性質があります。曹操は莫大にある黄砂を材料に城壁を築き袁紹軍を迎え撃ちました。

 

こちらもCHECK

荒れる黄河
黄河(こうが)とは何?どんな猛将も敵わない、最凶の暴れ河

続きを見る

 

はじめての三国志Youtubeチャンネル

 

 

戦争自体が長期化した理由

三国志 剣閣のお城

 

また、漢の時代には土木技術が発達し、逆茂木を置いたり土壁を築き夜中に奇襲される危険が減ったので、戦争そのものが長期化する傾向がありました。官渡城の攻防戦も2カ月続いています。

 

こちらもCHECK

樊城の戦い
4382名に聞きました!三国志を代表する城と言えば?

続きを見る

 

官渡の戦い特集

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-