どうして孫権は劉備に荊州を貸したの?荊州問題を再整理してみる

2022年8月6日


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし父・関羽とともに亡くなる関平

 

関羽(かんう)の命運を決めた、樊城(はんじょう)の戦い。ここで()に背後を突かれた関羽は撤退、その後、捕縛されて処刑されました。

 

孫権に激怒する関羽

 

この関羽が劉備(りゅうび)に任されていたのが荊州(けいしゅう)であり、この荊州統治を巡って関羽と孫権(そんけん)、呉は元から揉めていて、それが後の樊城での戦いで関羽側に付かなかった理由、とも言われます。しかしこの荊州問題、とてもややこしい。

 

そこで一度、拙いなりにこの荊州問題をまとめてみようと思います。

 

 

孫権「これからどうしたらいいかな?」

魯粛

 

さてこの始まりはそもそも魯粛(ろしゅく)と孫権の会話からです。

 

魯粛と周瑜が詐欺を決行

 

まず魯粛は、(かつ)ては徐州(じょしゅう)にいました。この頃、とある一件で知り合った周瑜(しゅうゆ)と親睦を深めるのですが、魯粛自体は曹操(そうそう)袁術(えんじゅつ)からお誘いもあったようです。

 

魯粛

 

まあ色々な事情があって、そして周瑜の熱心な勧誘もあり、魯粛は孫権に仕えるようになります。孫権は一目で魯粛を気に入り、改めて魯粛を招いて、酒宴を開いたと言います。そして魯粛にこれからどうしたらいいか尋ねてみました。

 

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袁術「百里くらいある」

魯粛と袁術

 

「皇帝になるべきです」おおっとこいつぁびっくりだぜ!!どこかのハチミツ皇帝と同じ思想家か?と思うかもしれませんが、魯粛はきっぱり真面目です。

 

悪の正義バットマン風 曹操

 

因みに要約すると、(かん)王朝の復興はもう無理だし、曹操に対抗するためにも荊州(南群まで)を抑えて、長江(ちょうこう)を堀代わりに戦って皇帝名乗って天下を統一しようぜ!ってことです。

 

張昭

 

これには流石に張昭(ちょうしょう)おじいちゃんが「あいつあたまおかしいから信じちゃダメ!(意訳)」と言いましたが、孫権はこれ以降、ますます魯粛を信用するようになりました。

 

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困難を乗り越える

袁紹に追い詰められる曹操

 

ここで曹操が袁紹と戦っている間に荊州を手に入れようとしましたが、手を拱いている内に袁紹死去からの曹操南下。そしてここで始まるのが赤壁(せきへき)の戦い、殆どの呉将が降伏を主張する中で、周瑜と魯粛は抗戦を主張。

 

劉備と同盟を組む孫権

 

孫権は抗戦を選び、赤壁の戦いでみんなの力を合わせて勝利!

 

見事勝利して魯粛を出迎えた孫権と魯粛のやり取りは、正に感動もの(ですが割愛)

改めて南軍攻略に乗り出した孫権らは、多大な犠牲を出しながらも何とか南郡を手に入れたのでした。

 

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劉備「荊州かーして」

劉備と孫権

 

そこにやってきた劉備が荊州をちょうだ……じゃなかった、あくまで一時的に貸してくれないかなーと言ってきたのです。

 

まぁそんなのとんでもねぇと怒る諸将に、魯粛は「今は貸し与えて、共同して曹操に当たるべき」と言いました。

 

因みに周瑜は「劉備は懐柔して関羽と張飛(ちょうひ)の仲を裂いて、二人は私が部下にする(意訳)」という手段を提案しましたが、孫権は最終的に魯粛の案を採用しました。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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