明智光秀没落のハイライトと言えば、山崎の戦いで羽柴秀吉の4万の軍勢に大敗した場面でしょう。僅か1日で天下人の座を失った光秀ですが、逆に言うとどうして光秀軍は僅か1日しか持たなかったのでしょうか?
繁栄していた大山崎を避け平地に布陣した光秀
数において劣勢の光秀は秀吉と雌雄を決するポイントを京都の大山崎としました。大山崎は天王山と男山に挟まれ、一番狭い場所で幅が300mという隘路で、秀吉の4万の大軍が展開する事は不可能だったのです。
ところが、光秀は有利な地形である大山崎を捨て、その先の勝龍寺城がある平野に軍を展開、結局兵力の差は覆らず、光秀は1日で敗走したのです。では、どうして光秀はわざわざ有利なポイントを捨ててしまったのでしょうか?
経済的に繁栄していた大山崎を失いたくなかった
光秀が狭い大山崎を回避して陣を敷いた理由。それは戦国時代、ここに大山崎油座という荏胡麻油を扱う座が存在したからです。大山崎油座は荏胡麻油の流通と販売の利権を握り、戦国時代でも有数の財力を持つ座で、彼らは合戦により財産を失う事を恐れ、光秀にも秀吉側の織田信孝にも金銭を納めて制札を受けていました。制札とは足軽の乱暴狼藉を禁止する戦国大名のお墨付きです。
後々の事を考えた光秀は制札を破らなかった
しかし、制札があっても戦国大名がそれを守るかどうかは分かりません。光秀だって兵力差の不利を考えれば、自軍の足軽を大山崎の商家に潜伏させてゲリラ戦に移行した方が戦いを長引かせる事ができ、勝機を掴めたかも知れません。
それでも、光秀が大山崎を拠点にしなかったのは、合戦で大山崎が灰になると経済への影響が大きかったからだと言われています。光秀は天下を諦めなかったからこそ、ヤケクソで市街戦を演じようとはしなかったのです。
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