張角率いる黄巾の乱は、新興宗教によって人を集め、結束を固めたことで
起こすことができた農民反乱でした。
中国史では、農民反乱がきっかけで、しばしば王朝が交代します。
これは日本史では見かけないことです。
日本史で乱といえば、加賀の一向一揆や、島原の乱くらいでしょうか。
国を滅ぼすほどの規模の反乱ではないことがわかります。
この記事の目次
【世界史】王朝を倒した農民反乱は?
世界史に広げてみても、王朝を倒す農民反乱といえば、
フランス革命くらいしか思いつきません。
それだけ中国史において、数が多い農民をいかにして味方に引き入れるか
ということが大事だったとわかります。
黄巾の乱のように宗教を利用することは、民衆の支持を集めやすいという
利点がありました。
強力な一人の指導者のもとに、ギュッと民心を集めることができたのです。
また、それに加えて、宗教というのは、信者からお布施を受けることができます。
反乱においてもっとも重要なことは、軍資金集めであるとも言えます。
寄せ集めの農民反乱は、長引けば長引くほど失敗する傾向にあるのは、
この資金面の問題が大きかったと思われます。
以下に、中国史における有名な農民反乱を挙げてみました。
よく見ると、王朝に壊滅的な被害を与えたのは、宗教が礎にあったり、
塩の密売人だったりと、資金源がしっかりしている組織による反乱だと
いうことができます。
中国史における有名な農民反乱
■王朝を滅ぼすきっかけとなった農民反乱
・陳勝・呉光の乱(紀元前210年)
秦王朝が滅びるきっかけとなった農民反乱です。
辺境守護だった陳勝と呉光が、徴兵された農民たちを率いて起こした反乱です。
乱はなかなか収まらず、陳勝らの死後、項羽と劉邦による争いにつながっていきます。
・赤眉の乱(17年)
新王朝が滅びるきっかけとなった農民反乱です。
前漢王朝を簒奪して新王朝を開いた王莽は、当時の状況を無視した政策を
数々打ちだして国を混乱させました。
そのため、各地の流民たちが集結して、新王朝に反旗を翻したのです。
反乱軍は、目印に眉毛を赤く染めたため、赤眉の乱と呼ばれました。
・黄巣の乱(874年)
唐王朝が滅びるきっかけとなった農民反乱です。
国家財政の悪化から、塩の専売を始めた唐王朝に対し、塩の密売人をしていた
黄巣が率いて起こした農民反乱です。
黄巣の乱は、幹部だった朱温の裏切りにより終結しますが、実質上、唐王朝は
この乱で崩壊したといえます。
・紅巾の乱(1351年)
元王朝を滅ぼした農民反乱です。
仏教から派生した白蓮教の信者が集まり、元王朝を打倒すべく立ち上がりました。
目印として赤い布をつけたことで、紅巾の乱といいます。
この乱は、上に挙げた農民反乱と違って、実際に元王朝を倒し、
指導者であった朱元璋は、明の初代皇帝となりました。
・太平天国の乱(1850年)
清王朝が滅びるきっかけとなった農民反乱です。
洪秀全がキリスト教の信者を率いて地上の天国をつくることを目指して
起こしました。
アヘン戦争やアロー号戦争で疲弊した清王朝を何度も打ち負かしましたが、
およそ20年後に鎮圧されます。
国力がたいへん弱まった新王朝は、列強諸国の植民地化し、やがて滅亡するのです。
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