殷時代の合戦は、歩兵と三人乗りの戦車が主流でした。時代が下り、戦国時代になると、趙の武霊王の発案による騎兵の出現により、戦車は時代遅れとなっていきます。
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三国志時代の武器や防具について
軍備についての話が出てきましたので、ここで、三国時代の武器や防具について少し触れておきたいと思います。
一騎打ちは難しい?
三国時代には、戦車はすっかりすたれ、歩兵と騎兵が主流になっていました。この時代の馬具は、「当胸」という弓よけがあり、これを馬の胸に垂らしました。鞍は、前後に板があてがわれていましたが、鐙は昇降の時に使用するのみで、通常はついていなかったようです。長い武器を手に戦場を駆け回るのが主戦法で、馬具の機能的に、一騎打ちはあまりできなかったようです。
青龍偃月刀は存在しない?
三国時代は、ようやく鉄製武器が一般化され始めた頃でした。細かな細工を施した鉄の武器はまだ実用化されていなかったのです。つまり、有名な関羽の青龍偃月刀も、呂布の方天画戟も、存在しませんでした。
当時主流だった武器は、槍の先端に横向きの刃がもうひとつついた「戟」です。また、接近戦用としては、片刃の刀が主流で、両刃の刀は実戦ではあまり使われず、儀式用として使われていたようです。
三国時代の武将達が様々な武器を持っている理由
ではなぜ『三国志』というと、武将たちが様々な武器を持っているのでしょうか。これは、『三国志演義』の挿絵が描かれた明清時代、古代の武器や防具の資料が乏しかったためです。それでも、古い時代の話であるという雰囲気を大事にしたのでしょう。明清時代よりも少し古い時代である宋の時代の武器や防具を手本にしました。
私たちのイメージする『三国志』の武将たちの姿は、実はどちらかといえば、『三国志演義』と同じ中国の小説、『水滸伝』の武将たちに近いと言えるでしょう。