太平道の教祖、張角死後の黄巾軍はどうなったの?青州黄巾軍って何?


はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

張角逝く 張角 死

 

首領である張角(ちょうかく)の死後、弟の張宝、張梁もあいついで戦死してしまいます。黄巾軍はこれを機に一気に勢いを失い、黄巾の乱は平定されました。張角の墓は暴かれ、首は都に送られてさらされてしまいます。しかしながら、黄巾軍は、すべて根絶やしになったわけではなかったのです。その後も、各地でゲリラ戦を起こしていくのです。

 

関連記事:三国志は黄巾の乱から始まった

関連記事:社会不安を利用し急速に拡大した太平道、当時の人が宗教に頼った理由とは?

関連記事:張角が太平道信者を増やした方法


もう1つの黄巾賊 「青州黄巾軍」

曹操 黄巾党が仲間に!

 

董卓の死を契機に蜂起!青州で機をうかがっていた黄巾軍は、兗州(えんしゅう)へ進軍しました。彼らのことを、「青州黄巾軍」と呼びます。兵力は実に100万を超えていました。

 

劉岱

 

兗州を治めていた劉岱(りゅうたい)は、青州黄巾軍と戦おうとしました。ところがここへ、助言をするものが現れたのです。

 

鮑信

 

曹操の盟友である鮑信(ほうしん)は言いました。「戦っても勝ち目はありませんよ。守りを固めるべきです」と。劉岱は挑発されて、「そんなことはない!」と意気込んで出陣してしまいます。結果、劉岱は青州黄巾軍に討ち取られてしまうのです。兗州は、トップ不在の土地となってしまいました。


曹操と青州黄巾軍が遂に交わる

曹操 魏王

 

曹操VS青州黄巾軍!

 

この機に兗州へやってきたのが曹操です。都から派遣されてきた新しい兗州刺史をさっさと追い返し、自分が兗州刺史の座に就任してしまいます。そしていざ、出陣!鮑信とともに、青州黄巾軍をたたくべく、出撃します。兵力差は、圧倒的に青州黄巾軍が有利でした。また、青州黄巾軍は、長年戦ってきた、戦い方を熟知している精鋭たちです。

 

鮑信と曹操

 

半年間にわたる激戦を繰り返し、その中で鮑信は戦死してしまいます。曹操は鮑信の遺体を探し回りましたが見つからず、木彫りの人形を作って手厚く葬りました。曹操は伏兵戦術を駆使し、ようやく青州黄巾軍を追い詰めます。形勢不利と悟った青州黄巾軍は、講和の使者を送ってきますが、曹操は突っぱねて戦いを続けます。


青州黄巾軍、曹操に降伏

曹操軍

 

そうしてついに、青州黄巾軍は、曹操に降伏するのです。このとき、兵卒30万人、信徒100万人は、まるごと曹操の配下となりました。これがそののち、曹操軍の中でも精鋭中の精鋭となる、直属軍団「青州兵」となるのです。

 

関連記事:良い事が無かった曹操に勝機が訪れる!青州兵誕生秘話

関連記事:青州兵によって膨れ上がる曹操の兵力

 

【黄巾の乱を起こした宗教団体・太平道の秘密】
太平道の秘密

 

 

関連記事

  1. 蜀の劉琦
  2. 献帝
  3. 横山三国志 表紙引用
  4. 楽進
  5. 黄巾賊
  6. 曹操 孔明をチェック

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“楚漢戦争

“荀彧

“3冊同時発売"

“魏延

“馬超

“官渡の戦い"

“馬謖"

“郭嘉

“if三国志

“三国志人物事典

まるっと世界史




PAGE TOP