7話:黄巾の乱は、どうして起こったのか? 黄巾賊についてわかりやすく解説

2014年12月3日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

太平道 黄巾賊

西暦184年に発生した、太平道の教祖、張角を首謀者とする

黄巾の乱は、後漢王朝の屋台骨を揺るがす大反乱に発展します。

 

その黄巾賊を鎮圧する中で、劉備曹操、孫堅という後の

三国時代を代表する武将が世に出ていきます。

 

やがて、、呉、蜀の三国が鼎立する切っ掛け、それが黄巾の乱です。

 

前回記事:三国志は黄巾の乱から始まった

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



黄巾の乱は、どうして起こったのか?

暴れる黄巾党008

では、そもそもどうして、黄巾の乱は起こったのでしょうか、、

 

それには、漢の帝、霊帝の貧乏に大きな関係があります。

霊帝は、先代、桓帝に子が無かったので、同じ河間王族から

選ばれた人物でしたが、困った事に王族としては貧乏な人でした。

 

 

それでも、国庫にお金があれば良かったのですが、

桓帝は宦官を重用して無駄遣いをしたので、この時点で国庫は

すっからかんでした。

 



霊帝の斬新な発想でお金の調達法を名案

霊帝

 

そこで、霊帝は、非常に斬新なお金の調達法を発明します。

それは、お金で官職を売り払う事でした。

 

どのように高い官職にも、値札が張られ、金持ちは、これを

買う事で、あっという間に役人になれたのです。

 

道徳が地に落ちた

西洋が好きな霊帝

 

のアイデアは画期的で、国庫はあっと言う間に一杯に

なりましたが、その為に道徳は地に落ちました。

 

それまで、内密に行われていた賄賂が白昼堂々と行われ

汚職が普通になり、政治は完全に腐敗したのです。

 

また、お金で官職を買った人間は、投資金を取り戻す為に

農民に重税を課して富を絞り取りました。

 

 

そこで、資金を回収すると、その人間は、この官職を他人に売り

買った人は、また同じ農民から重税を絞り取ります。

 

困った農民達

怒る村人 三国志

 

こんな事が続いては、農民はたまりません、そこで現れたのが

太平道という宗教を布教し、病人を癒し奇跡を起こした張角でした。

 

 

「もはや、漢王朝の命運は尽きたり、蒼天はすでに死に、

黄天が建つ時が来た。張天子は聖人であり、

 

彼についていけば天下は大吉だ。

 

お前達農民には安定した暮らしが約束されるだろう。」

 

どんなに頑張っても払えない重税を課せられた農民は、

どうせ処罰されて酷い目に遭うなら張角について、

新しい世の中を期待した方がマシだと思ったのです。

 

 

こうして、売官という腐敗制度がもたらした汚職と搾取は

中国全土で漢を滅ぼすというスローガンを掲げる

黄巾族による大反乱をもたらしました。

 

こうして見ると、暗君としか思えない霊帝ですが、

彼は西園八校尉と呼ばれる皇帝直属の1万人規模の近衛兵を

黄巾の乱の鎮圧後に組織した事でも知られています。

 

このような近衛兵は、西園八校尉の将校だった曹操により

構想が引き継がれて完成し、以後は歴代の王朝の近衛兵の

モデルになっています。

 

 

馬鹿のように見える霊帝が近衛兵の産みの親だったとは

実に意外な事ですね。

 

 

次回記事:8話:社会不安を利用し急速に拡大した太平道、当時の人が宗教に頼った理由とは?

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-全訳三国志演義
-, , ,