宦官VS外戚の争い 第二ラウンド

2014年12月13日


 

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宦官VS外威 三国志

 

黄巾の乱が起きたことで、乱制圧のために手を組んだ宦官と外戚でしたが、

結局のところ、二勢力の間の権力闘争はなくなりませんでした。

黄巾の乱鎮圧後、再び両者は対立を深めていきます。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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失望した曹操は故郷に引きこもる

曹操 三国志 ゆるキャラ1

 

あるとき、曹操は霊帝に会って、意見を述べる機会がありました。

政治腐敗を批判する気持ちで、こんなことを言います。

「三公からの上奏は、貴族や外戚の顔色をうかがっているだけです」

 

三公とは、司徒・司空・大尉の3つの役職のことで、日本に置き換えれば

太政大臣・左大臣・右大臣といったところです。

曹操は、官僚たちが好き勝手をしていることを、皇帝に直訴したのです。

 

しかし、その意見は顧みられることはありませんでした。

曹操はがっかりして故郷へ帰ってしまいます。

 

霊帝の死後

後継者争い 劉協と劉弁

 

189年4月、霊帝は33歳の若さで病死してしまいます。

世継ぎを指名せずに亡くなってしまったため、残された二人の皇子を巡って

後継者争いが勃発します。

簡単に整理してみましょう。

 

・劉弁(りゅうべん) のちの少帝

母:何皇后

勢力:外戚(何進

目標:十常侍の排除→袁紹と手を組む

 

・劉協(りゅうきょう) のちの献帝

母:王美人(故人)

勢力:宦官(十常侍)

目標:何進の排除→何皇后にわいろを贈る

 

そしてその後の流れですが、

  • 劉弁が少帝として即位(外戚優勢)
  • 何進と袁紹は十常侍を一掃しようとする
  • 何皇后に阻まれる
  • 十常侍が何進を殺害(宦官優勢)
  • 袁紹が宦官を大虐殺(外戚・宦官共倒れ)

 

という図式になります。

 

董卓 はじめての三国志 ゆるい

 

その後、何進が生前に、宦官との争いに備えて助力を頼んでいた董卓が、

洛陽へ到着します。

董卓は、外戚と宦官が共倒れになったこのチャンスを逃さずに、

宮廷のトップについてしまうのです。

 

袁紹は、おいしいところを全部董卓に持って行かれてしまいました。

 

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