曹操という人物を語る時に、どうしても拒否反応が出る人がいます。
それは、曹操が超が付く程の現実主義者だからです。
この記事の目次
劉備が庶民以下の生活をしていたのに人に慕われたわけ
どのような人物でも、いくばくかは、理想主義者の部分があります。
○○になるのが俺の夢というのが、その部分です。
男の浪漫と言ってもいいでしょう。
例えば、劉備を見てみましょう、彼は血筋こそ漢王朝に連なりますが
実際の身分は平民と変わりありません。
それこそ、筵を編んで、草鞋を売っていたわけですから、
庶民以下とさえ言えるでしょう。
しかし、言う事はデッカイ訳です。
「俺は漢王朝の流れを組んでいるからいつかビッグになれる」
劉備を慕うものは、そういう劉備の浪漫に惹きつけられます。
一方の曹操はどうだったのか?
一方の曹操には、そのような浪漫や理想がありません。
彼は、常に現実主義であり、根拠が無い事は信じませんでした。
劉備が、黄巾の乱に義勇軍として参加して以来、
闇雲に戦い続けたのに対し、曹操は実績を積み上げていきます。
菫卓に対抗して反菫卓連合軍を結成した曹操ですが、
身の程を知る曹操は、自身はリーダーにならず、
家柄の良い袁紹を立てて、自分はサポート役に徹しています。
ここで、「俺がリーダーだ!」という顔をした所で、
無名の曹操に諸候が従うわけもありません。
出来ない相談はせず、必要とあれば裏方も辞さない、
これも現実主義者である曹操の性格の一面です。
曹操が覇王への道を歩めれたきっかけ
曹操が、他の群雄と一線を画して覇王への道を歩み始めたのは、
兗州を手に入れて、黄巾賊を降し、その兵力30万人と、
100万人という流民を手中に収めた事です。
その後、曹操は、菫卓の残党である、李傕、郭汜の下を
脱出して彷徨っていた献帝を自分が保護する事に成功します。
玉璽にも拘らない現実主義者・曹操
それ以前、洛陽では、玉璽が発見され、それを巡って
孫堅や袁紹、袁術の間で争奪戦が起きていました。
ところが曹操は、玉璽には一切目もくれませんでした。
「玉璽を手にいれた所で、それに見合う知名度と
勢力が無ければ、天下に馬鹿にされるだけだ、、」
袁紹のサポート役に過ぎなかった曹操が玉璽を持っても
利用する価値がないのです。
しかし、曹操は玉璽には興味を示さなくても、
生身の皇帝には強い関心を持ちました。
玉璽は石コロでも献帝は人間です、
ゴタゴタはあっても正式の手続きを経て即位した皇帝は
三国志の乱世でも充分に利用価値がありました。
それに献帝を保護した曹操は、すでに一介の群雄ではなく、
一州を支配する有力者であり、漢王室の威光を利用し
これを後ろ盾に天下に号令する力が充分にあったのです。
このように見ると曹操は、根拠のない「たかのぞみ」
(これを浪漫主義と言い換えてもいいですが)を一切せず
その場、その場で必要なステップを踏んで権力の階段を歩いています。
あなたは人生相談を劉備にする?それとも曹操?
これだけ見ると、曹操は夢を語るという点では、
全く面白味のない人物だと言えるでしょう。
恐らく、あなたが曹操と将来の夢について相談したとしても、、
「お前は学生なのか?ならば、まず学業を優先せよ、、
しかるべき成績を上げて、入れそうな企業が分かってから相談に来い
その前に何を言おうが空論だ、、余は空論は好かぬ」
としか語らないでしょう、「もし」、とか、「いつか」は、
曹操に取っては返答する価値もない無駄話だからです。
これが劉備であれば、何十年先の夢を夢中で
話し合うのではないでしょうか?
ところが、現実には、闇雲に夢を追った劉備は、40歳を過ぎても
自分の勢力を持てない客将の身分であり、
曹操は、53歳頃には、華北一帯を支配して魏を建国し、
80万人という大軍を率いて赤壁の戦いに臨んでいます。
赤壁の戦いに敗北した曹操ですが、もし負けていなければ、
一代で中国を統一する大偉業を成したでしょう。
ですが、人間というものの多くは、そんなに計算高く世の中を
生きてはいないものです。
曹操の人生への対応が正しい事を皆が知りながら、
曹操のやり方を嫌うのは浪漫を否定する曹操のリアリズムが、
あまりに鼻に付いてしまうからではないでしょうか?
この記事を書いた人:
HN:
kawauso
自己紹介:
三度の飯の次位に歴史が大好き
10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、
好きな歴史人物:
西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc
何か一言:
歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。