曹操が頭痛に悩まされていたことは正史にも三国志演義にも記されていることですが、
その診断と治療を行ったとされている人物が華佗(かだ)です。
一体どのような人物だったのでしょうか?
この記事の目次
華佗は麻酔薬を使ってすでに開腹手術を行っていた
正史三国志によれば、華佗は徐州で学問を修めたとされています。
医術に秀でており、「麻沸散」と呼ぶ麻酔薬を使って、開腹手術を行ったといいます。
「麻沸散」はチョウセンアサガオやジャスミンを主成分とし、
華佗はこれを術前にぶどう酒と一緒に患者に与えてその意識を失わせたといいます。
日本で全身麻酔による外科手術は江戸時代
確かな記録として残っている全身麻酔による外科手術は日本の江戸時代、
華岡青洲という医者が1804年に行ったのが最初とされていますが、華佗の話が事実であるなら、
それより1600年以上前に全身麻酔による外科手術が行われていたことになります。
三国時代の医者は社会的身分が低い者とされていた
華佗の評判を知った曹操は彼を招き典医として、持病の頭痛やめまい治療に当たらせますが、華佗はその処遇に不満でした。
当時、医者は社会的に身分の低い者とされており、彼はそれ以上の処遇を望んでいたのです。
華佗は医術書を取りに行くという口実を作って故郷に戻り、妻の病気を理由にそのまま二度と曹操の元に戻ろうとはしませんでした。
華佗が嘘をついたので曹操は激怒
妻の病気が作り話であったことを知った曹操は怒り、華佗を投獄した末に刑死させてしまいます。
後に曹操は自分の持病である頭痛を治療できる華佗を殺してしまった事を後悔したと言われています。
三国志演義では関羽を治療した医者としても登場
三国志演義では、華佗は肘に毒矢を受けた関羽を治療した医師として登場します。
華佗は関羽が矢を受けた右腕の肘を切開し、骨を削って毒を取り除く手術をしますが、その間、関羽は馬良を相手に悠然と碁を打ち続けました。華佗は関羽の豪胆さに大いに驚き、黄金百両の礼を申し出た関羽にその礼を断り、去っています。
曹操の頭痛を診断した華佗だが・・・
その後、神木を切り倒した呪いで頭痛に悩むようになった曹操に招かれ彼を診断します。
華佗は薬での治療はできないことを曹操に告げ、麻酔をした上で頭を開く手術をすれば治せると言いますが、手術を恐れた曹操は激怒して治療を拒否します。
華佗が「関羽は肘の手術に動じなかった」と言うと、曹操は更に怒り、華佗が関羽と通じて自分を暗殺しようとしているとし、彼を投獄の後拷問死させてしまいます。
実際に華佗は麻酔手術を行ってたの?
実際に、華佗が麻酔を使った外科手術を行っていたかどうか、その証拠となる文献は残念ながら残されておりません。
ただ、彼が麻酔手術を行ったという記述は正史『三国志』だけではなく『後漢書』にもあり、
一概にそれが後世の創作だったとは言い切れないのも事実です。
外科手術は儒教の教えに背くため、西洋医学が中国に持ち込まれるまで行われなかった
結局、外科手術は儒教の教えに背くとされ、その後西洋医学が中国に持ち込まれるまで行われることはありませんでした。
もし、華佗の医療技術が後世に伝えられれば、世界の医学の歴史は大きく違っていたかもしれませんね。
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