本職より美味いカボチャを作った農夫・孫権

2015年3月14日


 

 

呉の三代目君主である孫権(そんけん)には、面白い民話が伝わっています。

 

孫権は、若い頃武昌にいた事がありました。

彼は、武芸にも学問にも優れていて、殆ど全ての学びを終えると

暇で仕方が無くなったので

近くにいた農夫からカボチャの栽培方法を学びました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫権は頑張り屋さんな性格

かぼちゃ 孫権

 

孫権は何事も手を抜かず、一生懸命にやる性格だったので、

自分でカボチャの種を植えると、毎日、水をやり、肥料を与えて、

カボチャの蔓が延びると、棚を造って這わせ、熱心に世話をしたので、

ぐんぐんとカボチャは育って誰にも負けない美味しいカボチャになりました。

 



張飛(ちょうひ)が孫権に会いに行く

セイリュウ刀と蛇矛

 

そんな頃、主君劉備(りゅうび)の命令で、

張飛(ちょうひ)が孫権に会うべく呉にやってきました。

 

「呉君はどこにいらっしゃるのか?」と張飛が呉の家臣に聴くと

 

皆、「呉君は、カボチャ畑にいらっしゃる」と答えます。

 

張飛は、それを聞いても俄かには信じませんでした。

 

「呉の主ともあろう者がそんな農夫のような事をするわけがない

孫権は、俺に会いたくない理由でもあるんだろう」

 

張飛は、構わず、呉の方々を探し回りますが、どこに行っても孫権はいません。

 

 

実際にカボチャ畑に行ってみた

 

そこで、まさかと思いつつ、言われたカボチャ畑に馬を走らせました。

 

そこは、一面のカボチャ畑で、麦わら帽子を被った農夫が、

泥だらけになって一生懸命にカボチャを収穫しています。

 

「なんだ、やっぱり、ここにも孫権はいないじゃないか!

あいつら嘘つきやがって、ぶつぶつ、、」

 

張飛は八つ当りで、そこにあったカボチャを蛇棒でプスプスと突き刺して遊んでいます。

 

 

孫権、現る

孫権と三国アヒル

 

「将軍!何をするのです、カボチャに傷をつけないでくれ!」

農夫が振り向くと、それは紛れもない孫権の姿でした。

 

張飛はビックリして、馬から降りて、無礼を詫びたと言われます。

 

孫権が育てたカボチャは、皮が薄く実が締まっていて美味しいと

評判になり、後にその土地の名産物になったそうです。

 

孫権のほのぼのした話

孫権 冠

 

なんだか、ほのぼのした話ですが、

ストレスの強い時代を生き抜いた孫権ですから、

もしかしたら、本当に気晴らしで農業をしたのかも

知れないと思うのは私だけでしょうか?

 

それにしても、張飛は、龐統の時といい、孫権の時といい

劉備の代わりに、どこかに行くパターンが多いですね。

 

 

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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