42話:袁紹には悪夢、顔良、文醜が関羽に斬られる

2015年3月13日


 

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袁紹が宦官を惨殺に行く

 

西暦200年、それまで曹操(そうそう)とは小康状態を保っていた華北の雄袁紹(えんしょう)は、ついに重い腰を上げ、曹操(そうそう)の討伐に向かいます。

行軍する兵士達a(モブ)

 

その兵力は17万人、一方の曹操(そうそう)は15万人を動員しました。袁紹(えんしょう)軍は、手始めに黄河を挟んで対岸にある白馬を守る曹操(そうそう)軍の劉延(りゅうえん)に襲いかかりました。

 

前回記事:41話:いつかは去りゆくと知っていながら関羽を厚遇した曹操

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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攻撃の先鋒隊を務めた顔良(がんりょう)

顔良&文醜

 

その攻撃の先鋒を勤めたのが袁紹軍随一の猛将顔良(がんりょう)でした。曹操(そうそう)軍が、顔良(がんりょう)の苛烈な攻撃に耐えている時に、関羽(かんう)は、赤兎馬に跨り、青龍堰月刀を引っ提げて顔良(がんりょう)の前に立ち塞がります。

 

関羽(かんう) vs 顔料(がんりょう)

関羽 男だち

 

「何を小癪な、そこをどかぬかーー!!」

 

漢の顔良(がんりょう)

 

顔良(がんりょう)が押しまくっている余勢を借りて、関羽(かんう)に突進した瞬間、顔良(がんりょう)の首は、血煙をあげて遥か上空に跳ね上がっていました。関羽(かんう)は、これを造作もなく拾い上げて袁紹(えんしょう)軍の将兵に見せます。総大将が討ち取られてパニックになった袁紹(えんしょう)軍は総崩れになり、白馬の劉延(りゅうえん)は窮地を脱しました。

 

袁紹(えんしょう)2枚看板の文醜(ぶんしゅう)を派遣

顔良と関羽

 

顔良(がんりょう)が斬られた事を知った袁紹(えんしょう)は、直ちに顔良(がんりょう)の親友で武勇は顔良(がんりょう)に勝ると言われる文醜(ぶんしゅう)を派遣します。

 

馬に乗って戦う徐晃

 

文醜(ぶんしゅう)は崩れた兵力を立てなおし、黄河を渡って延津(えんしん)という土地に軍を集結させようとします。そこに曹操(そうそう)軍の、張遼(ちょうりょう)、そして徐晃(じょこう)が向かってきます。

 

流石は文醜(ぶんしゅう)、顔良(がんりょう)を上回る力で二人の将軍と互角に打ち合い、全く引けを取りません。

 

はじめてのプロ野球 関羽

 

その時、白馬から急いで、延津(えんしん)まで戻ってきた武将がいました。そう関羽(かんう)です、律儀なモノで徐晃(じょこう)や張遼(ちょうりょう)の応援に来たのです。

 

関羽(かんう)加勢する

関羽神様

 

「貴様が関羽か?友の仇、討たせてもらうぞ、うおおおお!!!」

 

関羽(かんう)を見るや、文醜(ぶんしゅう)は激怒して矛を振りまわし、突進してきます。しかし、関羽(かんう)は全く怯まず、それを難なくかわし気合い一閃、青龍堰月刀を打ち下ろしました。その勢いの凄まじさに文醜(ぶんしゅう)は支えきれず、背中を見せて逃げます。ところが赤兎馬を駆る関羽(かんう)に追いつかれ背後から真っ二つに斬られました。

 

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

「ひえええ、何という強い武将だ、、」「逃げろ皆殺しにされるぞおお」

 

文醜(ぶんしゅう)が討ち取られたのを見た袁紹軍兵は先を争って黄河に飛び込み、その後を曹操(そうそう)軍は、簡単に追い詰めて殲滅してしまいました。

 

 

 前哨戦は曹操(そうそう)軍の勝利

曹操 油断

 

こうして、曹操(そうそう)対袁紹(えんしょう)の前哨戦は、関羽(かんう)の大活躍により、曹操(そうそう)軍の大勝利となったのです。

 

関羽(かんう)は義兄弟の劉備(りゅうび)が袁紹(えんしょう)軍にいること知る

曹操は関羽をGET

 

関羽(かんう)は、この時の戦いで劉備(りゅうび)が鄴という袁紹(えんしょう)の支配都市に居る事を知り顔良(がんりょう)、文醜(ぶんしゅう)の二将を斬った事で恩は返したと考え、曹操(そうそう)の下を離れる事になります。因みに三国志の正史では関羽(かんう)が斬ったのは顔良(がんりょう)だけで文醜(ぶんしゅう)は斬っていないとされています。

 

次回記事:43話:孫策、後事を孫権に託して病没する

 

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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