中国の氏・姓の成り立ちをどこよりも分かりやすく解説!

2015年8月2日


 

みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

三国志のみならず、中国関連の本を読んでいると「氏」と「姓」という言葉がひんぱんに出てきます。

日本でも「氏姓」って言いますよね。この言葉、実は全く別の事を指すものだとご存知でしょうか?

今回はこの言葉についてご説明します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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姓は血縁集団を表す

 

太古の中国でまず現れたのが「姓」でした。

5000~6000年前に誕生したと考えられています。

同じ母から成立した血縁集団ですよという事を示しています。

 

昔は集落・村落の核は血縁集団であり、

また太古の中国は母方の血筋により家族が構成される母系制社会でしたので、

集団や集落を表す言葉として使われました。

 

当時はまず子どもを無事に産んで、大人になるまで育てなければなりません。

今でもお産は大変なのに、6000年前なんてどれだけ確率が低かったでしょうか。

産まれてからも乳幼児の死亡率は今とは比べ物になりません。

昔の平均寿命が低く言われているのは、乳幼児の死亡例があまりにも多いからです。

 

そんな環境で、父系制で血統・財産を確実に伝えようとしたら…?

あっという間に途絶えるか、間で他人が父の子が産まれて辿れなくなってしまいますよね。

母が産んだ女の子が家を継ぐ、という慣習が時代に合っていたのです。

古い姓ほど姫、姜、姚、娀といった女偏の漢字が使われているそうです。

 

また姓をつけることで、タブー視されていた近親の通婚を防ぐ目的もありました。

母が違えば他人ですが、同じ(姓が同じ)ならば親族であるとされました。

昔も近親婚はよろしくないという事がわかっていたのでしょうね。

 

集落や血族集団を表す「姓」は、次第に集落内の貧富の差や父系制社会への移行により、

一大勢力の貴族を表すものに変わっていきます。

貴族といっても、三国時代やヨーロッパや日本の貴族をイメージするとちょっと違うかもしれません。

村長さん一家、鎌倉時代の豪族の棟梁とでも考えてください。

 

但し土地も広いし人口も多いので、ものすごい村長さんです。

そして貴族以外が姓を名乗る事がなくなります。

 

 

 

氏は国や土地の名を表した

 

では「氏」とはどういう風に成立したのでしょうか。

こちらは主に貴族が王より与えられた土地の名

前、その貴族に仕える役人・部下がもらった土地の名前から付けられました。

 

「○○姓の●●を治めている●●氏」といった具合です。人口も増えると

、あんまり同じ姓の人ばかり増えては、いくら庶民より数が少ないといえど不便です。

血縁集団としては姓で区別し、普段は氏を使用するようになります。

 

例を出すと、太公望(たいこうぼう)の姓は姜、氏は呂、名は尚、字は子牙です。

紂王の叔父の比干は「干の国に封じられた比」で、氏が干、名が比となります。

管叔鮮は姓は姫、名は鮮、文王の三男で、管に封じられたので

「管叔鮮」と呼ばれました(「叔」は兄弟の三番目という意味)。

 

周の頃には現在使われている氏のほとんどが登場したそうです。

その後一字で使う事ができない(高貴な人の名だったり、区別する必要がある)

事情がある場合、二字の姓に変えたりしています。

また役職名を氏に使用する例もあります。司馬氏がそうですね。

 

こうした背景を持つ氏は、姓に比べるとつけ方にあまり制約がなかったようで、

「〇姓の●氏はまた△氏とも名乗った」なんて記述が出てきたりします。

特に春秋戦国時代の記事を読んでいると、一体アナタはドコのダレなんですか?

と思ってしまうことも、私はしばしばあります。

 

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結局混ざった「氏姓」

 

周の力が弱くなってくると、

定められていた宗法(宗族内の規律や規則)もあまり守られなくなってきます。

 

それもそのはず、周建国の時と秦が統一国家を造った時の、国の広さを比べてみてください。

倍以上の広さになって、色々な民族が増えて…宗法なんて民族それぞれで違います。

ずっと守れという方が無理なのです。

 

そんなこんなで氏姓の制度も変化し、両者とも同じ意味を持つようになります。

そして一般庶民も、それぞれの家族を区別するために姓を名乗るようになりました。

これ以後「百姓」という言葉が生まれます。

後漢~三国時代にはシンプルに氏(姓)、名、字という組み合わせになりました。

 

日本では逆の意味に

 

おまけで日本での使われ方を挙げますと、有名なのがウジとカバネですね。

ウジが祖先を同じくする血族集団、カバネは王から与えられた世襲称号です。

あれ…?逆になってない…?

周の宗法が瓦解してから、日本で氏姓制度が発生するまで、この間およそ700年。

 

考え方は同じだけれど、呼び方が逆になったなんて、ちょっと面白いですね。

 

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