ログイン | 無料ユーザー登録


朝の仕度ならながら三国志
歯痛の中国史


はじめての三国志

menu

三国志の雑学

中国の氏・姓の成り立ちをどこよりも分かりやすく解説!

張昭




みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

三国志のみならず、中国関連の本を読んでいると「氏」と「姓」という言葉がひんぱんに出てきます。

日本でも「氏姓」って言いますよね。この言葉、実は全く別の事を指すものだとご存知でしょうか?

今回はこの言葉についてご説明します。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:曹操に警戒された司馬懿の凄さはどこにあるのか?

関連記事:司馬懿は恐妻家?それとも愛妻家?司馬懿の奥さんはどんな人?

 

 

姓は血縁集団を表す

 

太古の中国でまず現れたのが「姓」でした。

5000~6000年前に誕生したと考えられています。

同じ母から成立した血縁集団ですよという事を示しています。

 

昔は集落・村落の核は血縁集団であり、

また太古の中国は母方の血筋により家族が構成される母系制社会でしたので、

集団や集落を表す言葉として使われました。

 

当時はまず子どもを無事に産んで、大人になるまで育てなければなりません。

今でもお産は大変なのに、6000年前なんてどれだけ確率が低かったでしょうか。

産まれてからも乳幼児の死亡率は今とは比べ物になりません。

昔の平均寿命が低く言われているのは、乳幼児の死亡例があまりにも多いからです。

 

そんな環境で、父系制で血統・財産を確実に伝えようとしたら…?

あっという間に途絶えるか、間で他人が父の子が産まれて辿れなくなってしまいますよね。

母が産んだ女の子が家を継ぐ、という慣習が時代に合っていたのです。

古い姓ほど姫、姜、姚、娀といった女偏の漢字が使われているそうです。

 

また姓をつけることで、タブー視されていた近親の通婚を防ぐ目的もありました。

母が違えば他人ですが、同じ(姓が同じ)ならば親族であるとされました。

昔も近親婚はよろしくないという事がわかっていたのでしょうね。

 

集落や血族集団を表す「姓」は、次第に集落内の貧富の差や父系制社会への移行により、

一大勢力の貴族を表すものに変わっていきます。

貴族といっても、三国時代やヨーロッパや日本の貴族をイメージするとちょっと違うかもしれません。

村長さん一家、鎌倉時代の豪族の棟梁とでも考えてください。

 

但し土地も広いし人口も多いので、ものすごい村長さんです。

そして貴族以外が姓を名乗る事がなくなります。

 

 

氏は国や土地の名を表した

 

では「氏」とはどういう風に成立したのでしょうか。

こちらは主に貴族が王より与えられた土地の名

前、その貴族に仕える役人・部下がもらった土地の名前から付けられました。

 

「○○姓の●●を治めている●●氏」といった具合です。人口も増えると

、あんまり同じ姓の人ばかり増えては、いくら庶民より数が少ないといえど不便です。

血縁集団としては姓で区別し、普段は氏を使用するようになります。

 

例を出すと、太公望(たいこうぼう)の姓は姜、氏は呂、名は尚、字は子牙です。

紂王の叔父の比干は「干の国に封じられた比」で、氏が干、名が比となります。

管叔鮮は姓は姫、名は鮮、文王の三男で、管に封じられたので

「管叔鮮」と呼ばれました(「叔」は兄弟の三番目という意味)。

 

周の頃には現在使われている氏のほとんどが登場したそうです。

その後一字で使う事ができない(高貴な人の名だったり、区別する必要がある)

事情がある場合、二字の姓に変えたりしています。

また役職名を氏に使用する例もあります。司馬氏がそうですね。

 

こうした背景を持つ氏は、姓に比べるとつけ方にあまり制約がなかったようで、

「〇姓の●氏はまた△氏とも名乗った」なんて記述が出てきたりします。

特に春秋戦国時代の記事を読んでいると、一体アナタはドコのダレなんですか?

と思ってしまうことも、私はしばしばあります。

 

関連記事:びっくりするような遅咲き!天下の賢者 太公望

関連記事:殷末の武将たちの戦いをもとに書かれた『封神演義』

 

結局混ざった「氏姓」

 

周の力が弱くなってくると、

定められていた宗法(宗族内の規律や規則)もあまり守られなくなってきます。

 

それもそのはず、周建国の時と秦が統一国家を造った時の、国の広さを比べてみてください。

倍以上の広さになって、色々な民族が増えて…宗法なんて民族それぞれで違います。

ずっと守れという方が無理なのです。

 

そんなこんなで氏姓の制度も変化し、両者とも同じ意味を持つようになります。

そして一般庶民も、それぞれの家族を区別するために姓を名乗るようになりました。

これ以後「百姓」という言葉が生まれます。

後漢~三国時代にはシンプルに氏(姓)、名、字という組み合わせになりました。

 

日本では逆の意味に

 

おまけで日本での使われ方を挙げますと、有名なのがウジとカバネですね。

ウジが祖先を同じくする血族集団、カバネは王から与えられた世襲称号です。

あれ…?逆になってない…?

周の宗法が瓦解してから、日本で氏姓制度が発生するまで、この間およそ700年。

 

考え方は同じだけれど、呼び方が逆になったなんて、ちょっと面白いですね。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:後漢末から三国時代の世界情勢はどうなってたの?

関連記事:太平道だけじゃない!後漢末はどんな宗教が流行ったの?

 

■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■

古代中国の暮らし図鑑  

 

 




関連記事

  1. 王朝交代の背景には中国の五行思想があった!?
  2. 孔明 臥龍は起つ気まんまんだった!?三顧の礼のやらせ劇を詩から読み解く…
  3. 劉禅と董允 劉禅は凡人?それとも偉人なの?蜀漢2代目皇帝を徹底検証
  4. 蔣琬(しょうえん) 蒋琬(しょうえん)ってどんな人?孔明の後継者として蜀の安定を図っ…
  5. 張飛と劉備 張飛は繊細で優しい人だった?言い伝えから見る張飛像
  6. 蒼天航路 蒼天航路で太史慈の出番が少ない2つの致命的な理由
  7. 沙摩柯 沙摩柯(しゃまか)とはどんな人?武蛮族の王が甘寧を討ち取り呉を恐…
  8. 夏侯覇 夏侯覇は郭淮とチョー仲が悪かったから蜀へ逃げたってホント!?

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

google検索フォーム

過去記事を検索できます


“ながら三国志音声コンテンツ開始" “読者の声" “はじめての三国志Youtubeチャンネル" “誤字・脱字・誤植などの報告フォーム" “はじめての三国志コメント機能"
“はじめての三国志読者の声"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応
“夜のひとときながら三国志ver3"

おすすめ記事

痛い目にあう孫権 合肥の戦いで張遼が孫権を討ち取っていたら三国志はどうなった? 織田信長 織田信長の妻は年上が多かった!意外に甘えん坊だった?信長 三国志 まとめ 三国志:前半戦のまとめその1(董卓登場まで) 商鞅(しょうおう) 【はじめての孫子】第10回:九変の利に通ずる者は、兵を用うることを知る 死刑か肉刑か?魏の宮廷を二分した刑罰論争 京劇の格好をした関羽 なんで関羽の顔は赤いの?京劇が関係している? 西郷どんが坂本龍馬を殺したって本当? 2017年はじめてのストライキは、エイプリルフール企画でした!

はじさん企画

“if三国志" 英雄の死因 “三国志とお金" “はじめての漢王朝" “はじめての列子" “はじめての諸子百家" “はじめての三国志企画特集" “つながるはじめての三国志" “読者の声" 袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
“歯痛の歴史"
“三国志読み放題サービス"
まだ漢王朝で消耗してるの?
君主論
ビジネス三国志
ながら三国志音声コンテンツ
春秋戦国時代
架空戦記
北伐
呂布vs項羽
英雄の武器 はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “よかミカンのブラック三国志" 英雄の墓特集 誤字・脱字・誤植などの報告フォーム はじめての三国志コメント機能
“邪馬台国"

“三国志人物事典"

“つながるはじめての三国志

“はじめての三国志Youtubeチャンネル"

“ながら三国志音声コンテンツver2"
PAGE TOP