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後漢末から三国時代の世界情勢はどうなってたの?

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世界 曹操

 

後漢末の動乱から三国時代、晋の統一までを語る三国志

後漢の頃にはローマから商人も来ていたというけれど、では他の国や地域は一体どのような歴史を辿っていたのでしょうか?

 

ざっくりとですが、モンゴル・日本・朝鮮半島以外を地域ごとに見ていこうと思います。

場所の説明に現在の国名を書いていますが、あくまで「この辺り」という参考程度にお考え下さい。

 

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帝政ローマ

 

2世紀前半はいわゆる五賢帝の時代です。

地中海域(現在のスペイン~ギリシア~シリア~エジプト~チュニジア~モロッコにかけて)は全てローマの海であり、

東にある強大な隣国パルティアとは30年に1度の頻度で戦争をしています。

 

北はドイツのライン川・ドナウ川を境としてルーマニアやアルメニアといった黒海南岸地域まで勢力範囲が及び、属州が置かれました。

しかしゲルマン人やサルマタイという遊牧民に悩まされる事もありました。

 

180年に最後の賢帝マルクス・アウレリウス・アントニウスが病没すると、その息子のコンモドゥスが即位しますが、彼は奸臣を重用したり、身内と権力争いが絶えず、元老院とも対立するようになり、31歳の若さで暗殺されます。

 

五皇帝の年

 

その後193年までの1年間、五皇帝の年と呼ばれる内乱状態に陥ります。

内乱を制したセプティミウス・セウェルスによりセウェルス朝が開かれますが、暴政や内乱、暗殺が続きローマの威光に陰りが見えた時代でした。

235年に皇帝アレクサンデル・セウェルスがローマ軍により暗殺されると、その後は軍人皇帝が乱立する時代と移っていきます。

 

中東~イラン高原

photo credit: Palmyra VII via photopin (license)

photo credit: Palmyra VII via photopin (license)

 

現在のトルコ・シリア・レバノン・ヨルダン・エジプトなど地中海湾岸地域はローマの属州です。

そのローマと国境を接しイラン高原一帯を中心に治めるパルティアは、東側はトルクメニスタン、パキスタン、アフガニスタンまで勢力を広げる大国でした。

国境、特にシリアやアルメニア地域を巡りローマとたびたび戦争しています。

 

207年頃に国内を二分する内乱が起き、この争いは拡大して遂にパルティアは滅亡してしまいます。

226年からササン朝ペルシアが興りました。

 

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アフリカ

 

紅海沿岸地域では、スーダンにはメロエ王国、エチオピアにはアクスム王国がありました。

ナイジェリアやニジェール一帯には、ノク文化という初期鉄器文化の時代でした。

 

南部のモザンビーク沿岸部では、サン人やバントゥー系アフリカ人といった人々が紅海湾岸地域や中東地域と交易をしていました。

 

東西ヨーロッパ・イギリス

 

ローマの項で書いた通り、ライン川とドナウ川を境にローマの属州地域とゲルマン人居住地域に分かれていました。

現在のドイツを中心にゲルマン人は頻繁に反乱を起こしていますが、ローマと友好的な関係を結んだゲルマン人部族もいました。

 

ルーマニアは当時ダキアと呼ばれる地域で、2世紀にローマのダキア属州となりました。

これ以後3世紀くらいまでにキリスト教が広まりつつあります。

 

ブルガリアにはトラキア人の国がありましたが、1世紀にローマのトラキア属州となりました。

これより東側の地域ではどうだったのでしょうか。

 

ドイツのすぐ東にあり広い平原を持つポーランドにはゲルマン人だけでなくスラヴ人の祖先が、ローマの文化に影響された生活を送っています。

黒海北岸のウクライナにはスキタイ人の国がありましたが、2世紀ごろにバルト海沿岸から南下し移住した東ゴート人に滅ぼされました。

 

イギリスはケルト系ブリトン人が住んでいて、現在のイングランドとウェールズはローマ属州、スコットランドはケルト人が住み、ローマ人から「蛮族」扱いされていました。2世紀前半にはハドリアヌスの長城、アントニウスの長城(20年で放棄)が築かれています。

 

北欧

photo credit: via photopin (license)

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デンマークではケルト系、ゲルマン系の人々が住み、ローマ属州と交易を行っていました。

スウェーデンは、スヴェーア人の30弱の部族がメーラル王国など3つの国へまとまりつつあります。水軍が強かったようです。

フィンランドではフィン人とサーミ人、ノルウェーではノルマン人が定住生活を行っています。

 

ロシア

鮮卑族 l

 

ロシア西部のウクライナやポーランドに近い一帯では、スラブ人の祖先が農耕生活を送っています。

ロシア南部では遊牧民族のサルマタイ、サルマティア人が暮らしています。

 

このサルマティア人の一派がアラン人で、2世紀ごろにはカスピ海沿岸地域までを支配していました。

後漢書に登場する「阿蘭」はこのアラン人を指すと考えられています。

 

ロシア東部…というか中央アジアからバイカル湖周辺にかけては、テュルク系遊牧民が暮らしていました。

漢や魏の史書には「丁令」という名で記された人々です。1世紀代には匈奴の配下となっていましたが、2~3世紀ごろは独立勢力となっていたようです。

 

インド

 

北インドでは中央アジアまで勢力を広げたクシャーナ朝という王朝が栄えました。

中国の史書で「大月氏」と記される人々で、3世紀後半にササン朝ペルシアに滅ぼされます。

 

デカン高原一帯ではサータヴァーハ朝が開かれていました。

ローマ帝国とも盛んに交易を行い400年以上栄えた王朝でしたが、3世紀に入る頃に国内の反乱が原因で滅亡しました。

南インドにはパーンディヤ朝があり、やはりローマとの交易で栄えました。スリランカも勢力下に置いていました。魏略にも記述のある王朝です。

 

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東南アジア

photo credit: Short Holiday via photopin (license)

photo credit: Short Holiday via photopin (license)

 

カンボシアにはオーストロネシアが建てたと考えられている国家がありました。

2~3世紀頃の国名は不明ですが、7世紀の梁書には「扶南国」と記されています。

インドと中国との交易で栄えました。

 

ミャンマーにはティルチュルという民族が暮らしていました。

ピューとも呼ばれ、西南異方志などでは「驃」という国名で表されています。

 

タイにはモン族のドヴァーラヴァティー国がありました。

ベトナムでは192年、後漢の日南郡象林県の官吏区連が反乱を起こし、チャンパ王国(漢名は林邑国)を興しました。

しばらくは中国風の文化を保ちましたが、隣国扶南の影響を受けインド文化圏の仲間入りをします。

 

オーストラリア

 

モンゴロイド系のアボリジニが住んでいましたが、インドネシアの島々との交流があった事以外、詳しい事はわかっていません。

 

南北アメリカ

 

メソアメリカではテオティワカン文明、マヤ文明、サポテカ文明が栄えています。

北アメリカでは上記のような高度文明はおこっていません。

 

南アメリカでは地上絵で有名なナスカ文化、モチェ文化が栄えています。

北のカリブ海沿岸地域ではチプチャ語を話す人々が、カシケという首長制の元で生活しています。

 

後漢末~三国時代の世界情勢のまとめ

劉禅 韓非子

 

いかがでしたでしょうか?

世界史専攻のかたが読んだら怒りだしそうなくらいに大変ざっくりと、しかも中国とあまり関係ない地域の事まで書きましたが…こうして見ると、後漢末~三国時代も動乱の時代ですが、その他の地域でも結構興亡があったり、王国があったり、民族の移動があったりする時期なのだなあと改めて思いました。

 

今後どんどん文献や考古学資料が研究されて、さらに詳細なわかってくるのが楽しみです。

文中では「サルマティア」だの「ブリトン人」だの???となる言葉を説明せず書いていますが、興味を持った言葉があれば調べてみてください。

その時に世界地図が傍らにあると楽しさ倍増ですよ。

 

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この記事を書いた人:栂みつは

みつは様

自己紹介:

初めましてこんにちは。栂(つが)みつはと申します。
10代の頃から三国志にハマり、小説や演義では飽き足らず正史を購入。列伝を読みふけってはニヨニヨする残念な青春を送っておりました。

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