釣りの名人の事を太公望(たいこうぼう)と言いますよね?
実は、この太公望は古代中国の恐らく最初の軍師である人物の尊称なのです。
太公望こと、呂尚(りょ しょう)は、姜子牙とも言われ、姜族の首領だったとも伝わります。ですが、その生涯は伝説に包まれているので、ここでは、広く伝わっている太公望呂尚の逸話について書いてみましょう。
びっくりするような遅咲き!天下の賢者 太公望 呂尚(りょ しょう)
呂尚(りょ しょう)の家は、元々は黄河の氾濫を鎮めて王になった聖人禹の補佐をした大人物だったらしいのですが、呂尚(りょ しょう)の代では落ちぶれていました。
呂尚は頭脳明晰ですが、世渡りの出来ない人で、飲食店をしていたのですが、碌に客商売も出来ず、妻には無能と罵られて家を追い出される有様。その間にすっかり白髪になった呂尚は渭水という場所で釣りをしていました。
そこに、殷の紂王の重臣である、姫昌(きしょう:後の文王)が通り掛かりました。実は姫昌は、狩猟の帰りでしたが、占い師に
「今日は獲物は獲れないが、天下の大人物を得るだろう」と予言されます。
予言通りに手ぶらな姫昌が馬車で渭水の前を通ると、白髪の呂尚が釣りをしています。姫昌は、一目見るなり、呂尚がタダモノではないと悟ります。それで、呂尚に近寄り、天下の趨勢を聴いてみると一々感服する事ばかりです。
姫昌は、「彼こそ、祖父の古公亶父(ここうたんぽ)が待ち望んでいた人物だ」として、呂尚を軍師として迎え馬車に乗せて領地に連れ帰りました。
呂尚の軍師デビュー
こうして、呂尚は役立たずの飲食店の主から、周の軍師に抜擢されます。やがて、姫昌は死にますが、呂尚は息子の姫発(きはつ:後の武王)を盛り立て殷討伐の軍を起こして幾多の手柄を立てて殷を滅亡に追い込むのです。
呂尚は手柄によって、斉の国を与えられ、その最初の王になります。斉は戦国七雄の一国で、宰相管仲や斉の桓公のような覇王を出しました。そのような経緯もあり、呂尚の名も後世まで轟いたのです。
それにしても、役立たずの老いぼれジジイが一夜にして、帝王の軍師とは、人生は最後まで生きてみないと分からないを体現したような人物ですね。
三国志で言うと、世に出ずに隠遁していた所は、諸葛孔明に、、そして、風采が上がらず役立たず呼ばわりされていたのは、龐統士元に似ていなくもないですね。
(photo by wikipedia ユリシーズ・グラント)
でも、一番似ているのは、ゴメンナサイ、三国志と全然関係ないですが、元々は雑貨屋のアルバイト店員をしていて、南北戦争がはじまると頭角を現して、北軍の総大将になった、ユリシーズ・グラントに似てます。
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