2014年11月から始まった当サイト『はじめての三国志』。最近はコミック『キングダム』にまつわる話や、春秋戦国時代に関する記事も増えています。けど、中にはこう思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
『ここは三国志のサイトなのに、どうしてキングダムとかの話が出てくるんだろう?』
三国志のサイトなのだから、三国志の話を書いてればいい。もしかしてネタ切れだから、キングダムとか別の話をしてるんじゃないの?
いえいえ、そんなことはございません。これには、ちゃんと理由があるんです。
この記事の目次
突然「節分」の話
突然ですが、ここで質問です。海外から日本に来た外国人に、『日本人は2月3日頃になると、どうして豆を撒くのか?』と尋ねられたら、あなただったらどう答えますか?
誰でもすぐに思いつく答えはこれでしょう。
『それは節分だから』
じゃあ、節分って何? と尋ねられたら、どう答えますか?
節分という行事の歴史的背景を知っている人なら、
・『節分』とは、一年を24の季節の節目で分ける二十四節気、特に春夏秋冬4つの季節が始まるとされる日の前日をそう呼んだことに由来する。(本当は1年に4回節分があった)
・古来、季節の変わり目には邪気が生じると信じられており、節分の日にはその邪気を払う儀式が行われた。
・平安時代に、鞍馬山の鬼を退治するのに、炒り豆をぶつけて鬼の目を潰したという故事があり、その言い伝えが現代の『豆撒き』の習慣につながっている。……と言うようなことを説明することができるでしょう。
じゃあ、「土用の丑の日」は?
ではもう一問。
『土用の丑の日には、なんでうなぎを食べるの?』
これは有名ですので、正解をご存知の方も多いでしょう。通説によれば、『土用の丑の日にうなぎを食べれれば夏負けしない』と最初に言い出したおは、江戸時代の有名な発明家、平賀源内(ひらがげんない)とされています。商売がうまくいっていない鰻屋に相談された源内は、『本日丑の日』と紙に書いて店先に張り出すように進めました。するとどうでしょう、店は大入り満員、大繁盛したのです。
実は、本来土用の丑の日に食べると効果があるのは『う』の付く食べ物とされていました。うなぎでなくても、例えばうどんやウサギ、馬の肉なんかでも良かったわけです。しかし、平賀源内のアイデアのおかげで、現代ではすっかり『土用の丑の日=うなぎを食べる日』というイメージが定着した、というわけです。
現代を知るには過去を知ること
現代人が当たり前のように思っている節分や土用の丑の日には、その習慣が生まれた歴史背景というものがありました。歴史を知っておくことで、何気なく当然のように行っている習慣の意味や理由を理解することができるわけです。これと同じことが、キングダム(春秋戦国時代末)と三国志(三国時代)にも言えるのです。
三国時代という現代を知るには、春秋戦国時代という過去を知ること
三国志の時代(三国時代)はキングダム(春秋戦国時代末~秦代)の時代の、約400年ほど未来の話=三国時代から見ればキングダムは過去の歴史の時代にあたります。キングダムの時代=春秋戦国時代には、諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれるさまざまな思想家が登場して活躍したということも、以前の記事で紹介いたしました。
つまり、三国志をより深く理解するのには、キングダムの時代のことを良く知ることが、とても効果的、ということが言えるわけです。一例を上げるなら、曹操は儒家(じゅか)の思想の影響を強く受けた伝統的な政治を嫌い、合理的な法家(ほうか)の思想に近い政治を行いました。曹操のことをより良く、より深く理解しようと思うなら、儒家や法家がどのような思想を唱えたのか、歴史をさかのぼって知っておくといい、ということになるわけです。
関連記事:諸子百家(しょしひゃっか)ってなに?|知るともっと三国志が理解できる?
関連記事:儒教(儒家)ってどんな思想?|知るともっとキングダムも理解できる?
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