霍峻(かくしゅん)とはどんな人?劉備の益州乗っ取りの明暗を分けた名将

2016年2月13日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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法正

 

劉備(りゅうび)は赤壁の戦いの後、南荊州を領地とします。その後、劉璋の家臣である法正(ほうせい)張松(ちょうしょう)らの協力で益州に侵攻する事になります。

 

龐統

 

この益州侵攻の立役者は龐統(ほうとう)とされております。もちろん彼が居なければ蜀を手に入れるのはかなり厳しかったと思います。しかしもう一人立役者が居たのを皆さんご存知でしょうか。

 

霍峻 中国後漢末期の武将

 

その名は霍峻(かくしゅん)です。彼が居なければ三国は完成しなかったかもしれません。

 

劉表に仕える

劉表 三国志 ゆるキャラ

 

霍峻の生まれは荊州です。父は劉表が荊州に来る前から荊州の豪族として独立しておりましたが、劉表が荊州の牧になった時、仕えます。劉表は霍峻の父が亡くなると、霍峻に父の領土を継がせます。こうして霍峻は劉表の部下として仕える事になります。

 

曹操に仕えず、逃亡中の劉備に仕える

劉備 曹操

 

霍峻は劉表の元で、地道に実績を上げていきます。しかし劉表が亡くなり、息子の劉琮が跡を継ぐ事になります。この時曹操が河北を統一し、荊州へ侵攻を開始します。劉琮は曹操にビビッて降伏。霍峻は劉琮と共に曹操に降伏せず、劉表の客将で曹操の追撃から逃走している劉備の元へ身を寄せる事にします。この時彼と共に劉備の元へ馳せ参じたのは、馬良(ばりょう)・馬謖(ばしょく)・伊籍(いせき)など荊州の名士と呼ばれる人材が劉備の元に集まります。

 

張魯を討つべく葭萌関へ

張魯 お宝

 

劉備は赤壁の戦いで孫権軍と連合し大勝利をおさめた後、南荊州を領土に加えます。その後劉璋から漢中で独立を保つ、張魯を討伐してほしいと協力要請が来ます。劉備は快く劉璋の依頼を受け、漢中と益州の州境にある葭萌関へ出陣します。霍峻もこの時劉備に従って葭萌関へ向かいます。

 

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実は蜀乗っ取りの為に、益州へ

法正と張松

 

劉備は劉璋家臣である法正と張松から「劉璋では蜀を保つことは難しいと思います。ですので、劉備様に蜀を強奪していただきたい。」と誘います。劉備は迷いますが、龐統や孔明から勧められ、蜀を強奪する決断をします。劉備は蜀を乗っ取る際に警戒されないように関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)孔明(こうめい)などの人材を連れて行きませんでした。こうして葭萌関に到着します。

 

劉備は益州へ侵攻。葭萌関の留守は霍峻

宴会をして劉備をもてなす劉璋

 

劉備は葭萌関に着くと劉璋から宴を催されます。この宴は100日間も続くことになります。

 

陸遜 劉備

 

この宴が終わった後、劉備は葭萌関の留守を霍峻に任せ突如益州へ攻撃を仕掛けます。劉備は油断していた益州各地の都市を陥落させ、順調に益州を攻略していきます。しかし霍峻は危機に陥っていました。

張魯からの誘いを蹴る

 

張魯は自分の本拠地からたった150キロしか離れていない葭萌関に劉備の軍勢がいる事にわずらわしさを感じておりました。そのため張魯は使者葭萌関へ送り、「共に葭萌関を守ろうではないか」と誘います。霍峻は「俺の首を取るのはたやすい事かもしれんが、城は渡さん」と言い、張魯の誘いを蹴っ飛ばします。張魯の使者は霍峻の意志が固い事が分かると、帰っていきます。

 

劉璋の大軍が葭萌関へ

 

張魯の使者が帰ると次に来たのは劉璋軍の大軍がやってきます。霍峻が守る葭萌関には数百人しかいませんでした。さらにこの葭萌関が劉璋軍の手に渡ると、成都攻略中の劉備軍の背後が危うくなります。そのため霍峻は死を覚悟して守りにつきます。

 

決戦葭萌関

 

劉璋軍一万は葭萌関へ凄まじい攻撃を仕掛けます。矢を雨のように射こんで、衝車(しょうしゃ=城門を破壊する兵器)を使って城門を破壊しようとしてきます。霍峻率いる数百人は石を落として、衝車を潰し、雨のように降り続く矢の攻撃に負けず、敵陣に射返したりして抗戦を行います。さらに霍峻は敵陣が攻撃を止めた隙を狙って敵軍に突撃。この突撃により敵の将軍の首を討ち取る大功を立てます。こうして葭萌関をめぐる激しい攻防戦は一年間も続きます。しかし霍峻は諦めず、抗戦し続けたのです

 

葭萌関攻防戦での功績が認められ将軍へ

 

劉備は劉璋の降伏により、益州を手に入れます。葭萌関で行われていた激しい攻防戦も劉璋が降伏した事で終焉を迎えます。霍峻はこの戦いでの活躍により、将軍の位と梓潼太守に任命されます。しかし霍峻は将軍の位と梓潼太守に任命されてから三年後に亡くなってしまいます。

 

劉備は大いに霍峻の死を悲しむ

雷怖くない 能ある劉備

 

劉備は霍峻が亡くなった事を聞くと大いに悲しみます。彼は孔明を呼んで「霍峻は立派な人物で、益州攻略戦の時に彼が居なければ益州は当分手に入らなかったであろう。」と述べ、群臣を率いて彼の墓に酹(らい=地に酒を注いで霊を鎮める儀式)を行います。劉備は酹が終わった後、彼の墓の近くに宿泊し、丁重に彼を葬ります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

霍峻が葭萌関で負けていれば劉備の益州攻略もかなり厳しい戦いを強いられていたでしょう。もしかしたら益州攻略に失敗して、三国鼎立はなかったかもしれません。さらに言うと張魯を攻略した曹操によって益州は攻略され、曹魏の天下に決していたかもしれないというのは私の誇張でしょうか。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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