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張魯からの誘いを蹴る
張魯は自分の本拠地からたった150キロしか離れていない葭萌関に劉備の軍勢がいる事にわずらわしさを感じておりました。そのため張魯は使者葭萌関へ送り、「共に葭萌関を守ろうではないか」と誘います。霍峻は「俺の首を取るのはたやすい事かもしれんが、城は渡さん」と言い、張魯の誘いを蹴っ飛ばします。張魯の使者は霍峻の意志が固い事が分かると、帰っていきます。
劉璋の大軍が葭萌関へ
張魯の使者が帰ると次に来たのは劉璋軍の大軍がやってきます。霍峻が守る葭萌関には数百人しかいませんでした。さらにこの葭萌関が劉璋軍の手に渡ると、成都攻略中の劉備軍の背後が危うくなります。そのため霍峻は死を覚悟して守りにつきます。
決戦葭萌関
劉璋軍一万は葭萌関へ凄まじい攻撃を仕掛けます。矢を雨のように射こんで、衝車(しょうしゃ=城門を破壊する兵器)を使って城門を破壊しようとしてきます。霍峻率いる数百人は石を落として、衝車を潰し、雨のように降り続く矢の攻撃に負けず、敵陣に射返したりして抗戦を行います。さらに霍峻は敵陣が攻撃を止めた隙を狙って敵軍に突撃。この突撃により敵の将軍の首を討ち取る大功を立てます。こうして葭萌関をめぐる激しい攻防戦は一年間も続きます。しかし霍峻は諦めず、抗戦し続けたのです
葭萌関攻防戦での功績が認められ将軍へ
劉備は劉璋の降伏により、益州を手に入れます。葭萌関で行われていた激しい攻防戦も劉璋が降伏した事で終焉を迎えます。霍峻はこの戦いでの活躍により、将軍の位と梓潼太守に任命されます。しかし霍峻は将軍の位と梓潼太守に任命されてから三年後に亡くなってしまいます。
劉備は大いに霍峻の死を悲しむ
劉備は霍峻が亡くなった事を聞くと大いに悲しみます。彼は孔明を呼んで「霍峻は立派な人物で、益州攻略戦の時に彼が居なければ益州は当分手に入らなかったであろう。」と述べ、群臣を率いて彼の墓に酹(らい=地に酒を注いで霊を鎮める儀式)を行います。劉備は酹が終わった後、彼の墓の近くに宿泊し、丁重に彼を葬ります。
三国志ライター黒田廉の独り言
霍峻が葭萌関で負けていれば劉備の益州攻略もかなり厳しい戦いを強いられていたでしょう。もしかしたら益州攻略に失敗して、三国鼎立はなかったかもしれません。さらに言うと張魯を攻略した曹操によって益州は攻略され、曹魏の天下に決していたかもしれないというのは私の誇張でしょうか。
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