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王連(おうれん)とはどんな人?蜀の経済を支え、国庫の充溢を果たした名官僚

2016年3月17日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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経済官僚の点から孔明の南征に反対

孔明

 

劉備が亡くなると、南の異民族が反乱を起こします。孔明は異民族討伐を行う為、自ら軍勢を率いて南征を行おうとします。王連は孔明南征の噂を聞き「南中は風土病が蔓延しており、丞相自ら軍を率いて行く場所ではありません。また専売制が行われてまだ日が浅く、南征を支えるだけの軍費を捻出(ねんしゅつ)出来ません。」と伝えます。孔明は軍事の才能が諸将に及ばない事を知っていました。そのため南中で起きた反乱を自らの手で鎮圧し、軍事的な実績を残したいと考えておりました。しかし経済官僚で蜀の経済を支えている王連の反対を受け入れ、南征を行いませんでした。

 

ついに南征を開始

孔明

 

孔明は経済官僚であった王連が亡くなると、南征を決行します。そして見事に南中で反乱を起こしていた異民族討伐に成功し、無事成都に帰還します。もし彼が生きていれば南征が遅れていたかもしれません。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

魏や呉には内政に秀でていた臣が多くいました。しかし、蜀には人材が少なく、経済官僚や地方官で実績を挙げている臣はわずかしかいません。王連はその数少ない臣の一人です。彼が専売制の担当官として就任した事で、専売制の不満を漏らす民はほとんどおらず、成功します。この成功によって、孔明の北伐・姜維の北伐などの軍事費を拠出する事が可能になります。蜀にとってはかけがえのない臣下でした。

 

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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