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経済官僚の点から孔明の南征に反対
劉備が亡くなると、南の異民族が反乱を起こします。孔明は異民族討伐を行う為、自ら軍勢を率いて南征を行おうとします。王連は孔明南征の噂を聞き「南中は風土病が蔓延しており、丞相自ら軍を率いて行く場所ではありません。また専売制が行われてまだ日が浅く、南征を支えるだけの軍費を捻出(ねんしゅつ)出来ません。」と伝えます。孔明は軍事の才能が諸将に及ばない事を知っていました。そのため南中で起きた反乱を自らの手で鎮圧し、軍事的な実績を残したいと考えておりました。しかし経済官僚で蜀の経済を支えている王連の反対を受け入れ、南征を行いませんでした。
ついに南征を開始
孔明は経済官僚であった王連が亡くなると、南征を決行します。そして見事に南中で反乱を起こしていた異民族討伐に成功し、無事成都に帰還します。もし彼が生きていれば南征が遅れていたかもしれません。
三国志ライター黒田廉の独り言
魏や呉には内政に秀でていた臣が多くいました。しかし、蜀には人材が少なく、経済官僚や地方官で実績を挙げている臣はわずかしかいません。王連はその数少ない臣の一人です。彼が専売制の担当官として就任した事で、専売制の不満を漏らす民はほとんどおらず、成功します。この成功によって、孔明の北伐・姜維の北伐などの軍事費を拠出する事が可能になります。蜀にとってはかけがえのない臣下でした。