劉備(りゅうび)が立てた蜀は益州と涼州の一部しか領土が無く、三国の中でも非常に小さい土地でした。また人口面でも一番少ないため、農業などを生産する力があまりありませんでした。しかし蜀には塩・銅・鉄に恵まれていた土地でした。今回紹介する王連(おうれん)は蜀で生産される塩の専売制に携わり、国庫の充溢を図った経済官僚です。
この記事の目次
劉璋に忠義を尽くす
王連は荊州南陽の人です。彼は益州に入って劉璋に仕え、梓潼郡の県令に任命されます。劉備が益州討伐を開始した際、彼は劉備軍に抵抗する為、城門を固く閉ざし防備を固めます。劉備は梓潼に降伏の使者を送りますが、王連は降伏を拒否。劉備は劉璋に忠誠を尽くす彼の意気に免じ、梓潼を攻めずそのまま他県の攻略を行います。
劉璋の降伏後、劉備に仕える
劉璋は成都を開城し、劉備に降伏します。王連は劉璋が降伏した事を知ると、梓潼の城門を開き劉備に降伏。劉備は降伏した王連を広都県の県令に任命。王連は広都県の県令として実績を挙げると、他県の県令を任されます。孔明は王連が県令として目覚ましい実績を挙げていると知ると、司塩校尉(しえんこうい)に任命します。
孔明の政策により生まれた司塩校尉
益州は周りを山々に囲まれており、農業に適している土地はあまりにも少なく、農業生産力はあまりありません。しかし益州には特筆すべき生産物がありました。それが鉄・銅・塩・蜀錦(しょくきん)といわれる絹織物が名産物です孔明は鉄・銅・塩に目を付け、専売制を開始。この三種類の専売制を担当する為、新たな官職を置きます。その官職が司塩校尉です。
鉄・銅・塩の専売制には弊害あり
孔明は鉄・銅・塩の専売制を決意し、法律を作り布告します。しかし専売制には弊害があります。塩は人に取って必需品であり、鉄は農業を行う際の必須アイテムである鍬(くわ)、米など収穫する際に必要な鎌などを作る際の原材料として欠かせないものです。これらを国家が独占する事で民から不満が出て、反乱が起きる可能性があります。
専売制の結果
王連はこうした危険をはらんだ専売制の担当官に就任します。彼は民から不満が出ないように細心の注意を払いながら、孔明が考えた専売制を実行していきます。専売制を施行した結果、民から不満が出る事はありませんでした。また国庫の収入は今までと比べ物にならないくらい増加。孔明が考え、王連の細心な注意を払ったおかげで、専売制は成功します。
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