戦国時代を統一して徳川幕府を開いた、徳川家康。
NHK大河の真田丸では、内野聖陽が演じ英雄らしからぬ
情けない一面を持つ人間臭い人物として、描かれています。

さて、この家康、バツイチ・未亡人好きとして有名でしたが、
三国志にも、家康に負けないバツイチ好き曹操が存在しておりました。
二人はどうして、バツイチ・未亡人好きなのかを調べてみましょう。
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この記事の目次
確信的に人妻を選んでいる家康
さて、徳川家康ですが、大変な子沢山でもありました。
何と、男が11名に女が5名もいたと言われ、それ以外にも、
御落胤(ごらくいん:隠し子)もいたそうです。
生涯、戦争ばかりしているのに、どうしてそんな暇があったのか?
と要らない詮索はさておいて、この家康は、バツイチ好みでした。
朝日姫、西郷の局、茶阿の局、英勝院、雲光院、お亀の方
そんな、家康の代表的な未亡人・バツイチは、朝日姫、西郷の局、
茶阿の局、雲光院、お亀の方と6名にもなります。
違うのは、家康の正室として迎えられた築山殿ですが、
こちらは、家康がまだ、今川義元の人質だった頃に決められた縁組で、
家康の意志は入っていません。
家康は、母の愛に飢えていた。
徳川家康の母は、於大(おだい)の方と言いますが、
家康が僅か2歳の頃に彼女の兄が、織田方に寝返るという事件が起きました。
家康の父の松平広忠は、今川氏の庇護を受けて、ようやく生きている
弱小豪族だったので、この事に神経を尖らせ、於大の方と離婚して、
織田に内通しているのでは?という今川氏の疑いを回避します。
於大の方は実家に帰されてしまい、家康は、2歳で母と生き別れます。
この事で、家康は母の愛を充分に受ける事が出来なかったので、
その満たされない思いを、子供を産んだ事のある未亡人や、
バツイチ女性へ求めていたという事なのです。
しかし、異説も存在する・・
家康が、実母の愛情に飢えていたというのは、
一見、もっともらしいですが実際には疑わしい部分もあります。
というのも、戦国時代には、大名の妻は早期の妊娠を促す為に、
子供が産まれると引き離し、実際の教育は乳母が行うのが普通だったからです。
戦国の世ですから、子供は一人でも多い方が良かったのですね。
家康の場合も、弱小とはいえ大名ですから、
生母は於大の方でも、養育は乳母が当たったと考えられます。
家康の乳母は、内藤勝重の妻の松という女性だと言われています。
彼女は、天然痘(てんねんとう)に罹患した家康の為に、
自分の生命を引きかえにして神仏に病気の回復を祈り、
家康が全快すると神に感謝して自害したそうです。
こんなにも、激しく深い乳母の愛に包まれていたのですから、
家康が母の愛に飢えていたとは考えにくいでしょう。
家康の未亡人・バツイチ好きは、子供を授かりやすいから
実際の所、家康がバツイチや未亡人を選んだのは、一度妊娠出産を経験した
女性は、お産が軽く済む事が多く、妊娠しやすいという理由だったようです。
なにしろ、当時は乱世です、血を分けた子供は、成長すれば領地の城を
任せたり外交で他家の人質に出したり、縁組で同盟関係を強化したりと
まさに多ければ多い程よかったのです。
それを裏付けるように、家康が年老い、天下が定まると、
今度は反対に自分よりも50歳も下の10代女性に手をつけるようになります。
その頃には、徳川幕府も安泰になり、自分の子供をそれ以上増やす
必要がなくなり、純粋に自分の好みで女性を選ぶようになった・・
という事なのかも知れません。
三国志一のバツイチ・未亡人好き、曹操孟徳
さて、家康に、勝るとも劣らない、バツイチ・未亡人好きとして、
我らが英雄、曹操孟徳(そうそう・もうとく)がいます。
彼には、分かっているだけで13名の妻がいて、25名の男子、
7名の娘がいた事が分かっています。
曹操の人生も、ずっと戦争の連続なのですが、どうして、
その多忙の中で、こんなにウヒョな事が出来たか不思議です。
鄒氏、杜夫人、尹夫人、甄氏(未遂)
さて、曹操と言えば、未亡人、或いはバツイチの女性を好んで、
側室に迎えているという事で有名です。
一番、有名なのは、未亡人の鄒氏(すうし)で、
曹操は40を過ぎてから、この美女に夢中になり、
その為に張繍(ちょうしゅう)に恨まれて背かれ、息子の曹昂(そうこう)と
豪傑の典韋(てんい)を失っています。
また、杜(と)夫人に至っては、呂布(りょふ)を滅ぼした頃に
手に入れますが当初は名も知らず、関心もありませんでした。
しかし、何故か、朴念仁の関羽(かんう)が、このバツイチの杜夫人に
一目惚れしてしまい、曹操にしつこく「くれ、くれ」攻撃をしたので
「そんなに美女か?」冷やかし半分で会ってみたら、
曹操もゾッコン惚れてしまいます。
そして、関羽との約束を反故にして、自分の妻にするのです。
あれだけ配下に欲しがっていた、関羽との約束も反故にするのですから、
こと、女性に関して曹操は他人に一歩も譲る気はないようです。
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未亡人の尹氏、そして曹丕と取りあった甄氏
尹氏(いんし)は、元は大将軍何進(かしん)の息子に嫁いでいましたが、
189年に、何進の一門が宦官に殺された際に夫を失います。
行く所が無くなった尹氏は、そのまま宮廷に残り、
一人息子の何晏(かあん)を養育していましたが、献帝が許に移った頃に、
司空になった曹操に会い、その妻になりました。
曹操は連れ子である何晏も、とても可愛がったようです。
この辺りが、連れ子には情が薄くなる凡夫と曹操が違う所です。
ちょっと褒めた直後で、曹操はまたやらかします。
西暦204年に、袁家の拠点、冀州(きしゅう)を攻めた時の事、
袁煕(えんき)の妻で、美女の誉れ高い甄氏(しんし)を得ようと、
息子の曹丕(そうひ)と競争してしまうのです。
勝負には、曹操がタッチの差で敗れ、甄氏は曹丕の正室に
なるのですが、曹操は未練たらたらだったとか・・
まあ、息子と美女を取りあう位ですから、曹操は美女となると
ほとんど見境いがない野獣だと言えるでしょう。
確信的な家康と違い、曹操は、未亡人やバツイチどうこうではなく、
とにかく好きになったら相手の立場は、余り関係なくなるんでしょうね。
いえーい、肉食系男子だぜ、曹操孟徳。
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真田丸ライターkawausoの独り言
余談ですが、家康とは対照的に豊臣秀吉は
勝気で高飛車で、性格がキツイ、姫様好みだったようです。
元々が農民の出の秀吉は、姫様の持つ高貴さに、
身分が低い頃から憧れていたのでしょう。
淀君を見ると分かりますが、ああいう気の強い
じゃじゃ馬タイプが秀吉の好みだったのですね。
また、家康の孫の徳川家光は、生まれながらの将軍なので、
姫様などは見あきていて、興味がありませんでした。
逆に、汗に塗れて働いているような、健康的で筋肉質な
庶民の女性が、ストライクゾーンだったらしく、
家光の側室で、徳川綱吉の生母である桂昌院は、
西陣の織物屋の娘だとも、八百屋の娘だとも言われています。
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