荀灌(じゅんかん)とはどんな人?父の危機を十三歳の少女が救った荀彧の遠孫

2016年4月3日


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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援軍要請の使者を申し出る

 

荀灌はこのままでは城が落ちてしまうと感じ、荀菘に「父上。私が石覧様の所に行って救援軍を連れてくる」と言います。荀菘は荀灌の申し出に猛反対します。しかし荀灌は決意を秘めた目で父を見ます。荀菘は荀灌の決意を汲み取り、彼女に護衛数十人と石覧への書状を持たせます。荀灌は夜中密かに城を出て、石覧の元へ向かいます。

 

敵の追撃を受けるもなんとか石覧の陣へ飛び込む

 

荀灌は城を出るとすぐに、反乱軍が追撃をかけてきます。彼女は護衛を率いて、戦いながら前進します。そして彼女らは魯陽(ろよう)に差し掛かると、山中へもぐりこんで追撃してきた反乱軍を撒きます。

 

荀灌はこうして反乱軍の追撃を撒き、石覧が駐屯している陣へ飛び込みます。石覧はボロボロになった少女に驚きますが、荀灌はすぐに書状を見せ「父が籠っている襄城が危険な状態なんです。助けてください。」と懇願します。

 

石覧は彼女の懇願を受け入れ、救援部隊を編成した後、付近の県を守っている周訪(しゅうほう)へ援軍を送ってくれるよう要請。周訪は石覧から連絡を受けると息子の周撫(しゅうぶ)に軍勢を率いさせて、石覧の元へ派遣。石覧は軍勢が揃った所で、襄城へ向けて進軍を開始します。

 

反乱軍は破れ襄城は救出される

 

石覧らは襄城へ着くと、反乱軍に猛攻をかけます。猛将である杜曾は、迎撃の陣を敷きますが、正規軍の猛攻に耐えきれず撤退。胡伉は杜曾が撤退した事を聞き、彼も軍をまとめて撤退します。こうして十三歳の少女の活躍によって襄城は助かる事になります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

今回は荀彧の遠い孫である荀灌をご紹介しました。僅か十三歳で城の包囲を抜け出し、援軍を引き連れて戻ってくるなんて凄い子です。中国史で軍を率いて活躍した女性は大勢いますが、その中でも最年少で活躍した人ではないかと思います。

 

ちなみに荀灌は襄城を救った後の事は「晋書」に記載されていませんでした。「今回の晋のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃまたにゃ~。」

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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