「晋書」にわずか十三歳の少女が敵の重囲を抜け出し、救援軍を連れて来て城を救出したと記されています。その少女の名を荀灌(じゅんかん)と言います。
この少女の父荀菘(じゅんしゅう)は、三国志時代の英雄曹操の名宰相として活躍した荀彧の玄孫(やしゃご)です。今回は荀彧の遠い孫である幼い少女・荀灌が活躍したお話を紹介していきたいと思います。
この記事の目次
幼少期から優れた物を持った少女
荀灌は荀菘の三女として生まれます。彼女は幼いころから優れた節操を持ち、物怖じしない度胸の良さをもっておりました。父荀菘は襄城の主として忙しい毎日を過ごしておりましたが、家に帰ると荀灌を大いに可愛がります。
このように幸せな家庭で育った荀灌ですが、晋国内が乱れ始めると彼女の運命が激変します。
永嘉の乱
八王の乱で晋国内が大いに乱れると異民族が反乱を起こします。その中でも最大の反乱は、匈奴の劉淵の反乱です。彼は晋の王族であった司馬頴(しばえい)の部下でしたが、司馬謄(しばとう)討伐を命じられ匈奴に戻ると、周辺部族をまとめ上げます。その後彼は晋から独立を宣言し、中原に侵攻を開始。
劉淵は強力な匈奴の騎馬隊を率いて中原になだれ込み、ついに晋王朝を滅亡させます。この永嘉の乱の影響は、荀灌親子が住む荊州にも影響が及びます。
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反乱軍に城を包囲される
元牙門将(もとがもんしょう)胡伉(ここう)は晋に対して反乱を起こします。彼は若い時から猛将として誉れ高い杜曾(とそう)を配下に加え、各地の県を攻撃し、領土を拡大していきます。そしてついに荀灌親子が暮らしていた襄城(じょうじょう)にやってきます。
荀菘は胡伉が反乱を起こすと、城の防備をしっかりと固め、敵に付け入る隙を与えませんでした。しかし敵の攻撃は衰える事無く続きます。荀灌は敵の歓声や攻撃の音など全く怖がる様子もなく普段通り毎日を送ります。
兵弱り・兵糧が底をつく
杜曾は予想外に堅固である襄城に驚き、攻撃と包囲を続けます。襄城は杜曾の攻撃を幾度も跳ね返しますが、兵は疲弊し、兵糧が欠乏し始めます。そこで荀菘は以前部下であった平南将軍(へいなんしょうぐん)である石覧(せきらん)に援軍の使者を送ろうと考えます。
しかし杜曾の包囲網は、人はおろかネズミ一匹出れないような重囲でした。
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