【優劣対決】戦国武将小早川秀秋 VS 蜀の二代目皇帝劉禅一体どちらが優れていたのか。PART3




劉禅

 

PART1では見事劉禅を降し、

日本の戦国大名である小早川秀秋が勝利を勝ち取ります。

後が無くなった蜀の二代目皇帝である劉禅は、

PART2で見事小早川秀秋から勝ち、一勝一敗に持ち込みます。

最終決戦であるPART3では一体どちらが勝ち、本当の無能者が決まります。

 

前回記事:【優劣対決】戦国武将小早川秀秋 VS 蜀の二代目皇帝劉禅一体どちらが優れていたのか。PART1

前回記事:【優劣対決】戦国武将小早川秀秋 VS 蜀の二代目皇帝劉禅一体どちらが優れていたのか。PART2




最後は潔かったか対決

董允 劉禅

 

人には必ず死が訪れます。

これは人に限らず、生物であれば不可避の自称であります。

今回は戦国武将である小早川秀秋の死と劉禅の最後どちらが潔かったか

対決を行いたいと思います。

さて初めは秀秋さんからです。




最後は潔かったか【秀秋編】

三国正史 劉禅

 

秀秋は関ヶ原の戦いの活躍により、岡山55万石の大大名へと出世します。

しかしその2年後突如彼は亡くなってしまいます。

秀秋の最後は謎に包まれており、はっきりとしません。

しかし彼の死はいくつか候補がのこっておりました。

 

秀秋の死因その1【祟り】

photo credit: Purple haze via photopin (license)

 

秀秋の死因として一番知られているのは、やはり祟りではないでしょうか。

西軍の総大将石田三成の祟りや秀秋が寝返った際、少ない軍勢ながら、

孤軍奮闘するも、全滅の憂き目を見た大谷吉継の祟り。

これらの祟りが秀秋の精神を崩壊させ、亡くなったとの説が存在します。

 

秀秋の死因その2【毒殺】

photo credit: Taliessin’s Folly via photopin (license)

 

家康は小早川秀秋を岡山に領地を与えます。

その後彼が意外にもしっかりとした政策を行っている事を

知った家康は、このままでは豊臣家を助ける大名として成長する危険があると

考え、秀秋を毒殺した説。

この説は豊臣恩顧の将として最有力候補であった加藤清正も家康に毒殺された

説が残っておりますね。

 

死因その3【酒毒】

photo credit: Seagull and Mt Stephens via photopin (license)

 

秀秋は15歳くらいから酒が好きでがつがつ飲みます。

これが原因でアルコール依存症になり、内臓が悪くなって亡くなったと

されています。

この説はテレビで取り上げられ、現代のお医者様が研究した成果が上がっており、

今一番有力な説です。

しかしこの対決の潔さと言う点においては、彼に潔さなど微塵も感じる事が出来ませんね。

全て自分が招いた結果ですから。

さて次は劉禅の番です。

【次のページに続きます】




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