【三国志の3大軍師を比較】孔明、周瑜、郭嘉の●●●ランキング!

2016年5月5日


 

孔明 郭嘉 周瑜

 

三国志の軍師と言えば、必ず名前があがる、

孔明(こうめい)周瑜(しゅうゆ)郭嘉(かくか)の3名。

いずれも大体、同時代を生きていて、また多くの逸話で知られています。

そこで、はじさんでは、3名を比較して、ランキング形式で

紹介していこうと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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若くして活躍ランキング1位 周瑜

袁術と周瑜と孫策

 

3名は、それぞれ、かなり若い頃から歴史に登場していますが、

その中でも断トツに若いのが、周瑜公瑾(しゅうゆ・こうきん)です。

西暦175年生まれの彼が、生涯の盟友となる孫策(そんさく)と行動を

共にするのは194年の事なので、弱冠19歳、孫策も同じ年齢です。

世にもまれなティーンズ主従の誕生でした。

 

孫策は「君が配下に入ってくれれば、僕の夢は叶ったも同然だ」

周瑜の参陣をとても喜んでいます。

 

周瑜 美男子

 

翌年には、袁術(えんじゅつ)の勢力と小競り合いを起こしていた

劉繇(りゅうよう)を倒し、孫策は袁術の影響力から離脱します。

戦勝によって、数万という兵力を確保した孫策は、自分の手勢だけで

江東の征覇は可能と考え周瑜に丹陽の守備を任せて、

さらに進軍してゆきました。

 

その頃、袁術は、袁胤(えんいん)を周瑜の代わりに丹陽に送り込み、

周瑜を寿春に召還します。

 

袁術

 

周瑜の才能を見込んだスーパーエリート袁術は彼をスカウトし、

しばらく周瑜は袁術の臣になりますが、袁術の時代を超越した

エキセントリックさには、ついてゆけず、見切りをつけて、

つまらない県の長になる事を志願、許されると、

これ幸いと呉の孫策を頼って亡命しました。

 

廬江郡に赴任した周瑜は、24歳で美しい容貌をしていたので、

人々から周郎と呼ばれます、周の若旦那という意味です。

それだけ、指揮官にしては若く美しい容姿をしていたのでしょう。

 

一方の、郭嘉と孔明は、それぞれ、27歳で曹操、劉備に仕えています。

孔子の言葉には、男子三十にして自立とあるので、それに倣ったのか

いずれにしろ、若さでは周瑜がナンバー1でしょう。

 



ちょい悪度 ランキング 1位 郭嘉

郭嘉

 

郭嘉奉孝(かくかほうこう)は、西暦170年生まれです。

曹操の直臣メンバーでは、一世代若く、その透徹した、

先を見通す目で知られています。

 

郭嘉

 

例えば、官渡の戦いの後、病没した袁紹(えんしょう)の後継者の

地位を巡り、袁尚(えんしょう)と袁譚(えんたん)が

内部抗争を繰り広げた事があります。

曹操はこれにつけこんで勝利を得て、両者を撃破します。

 

そこで、曹操の家臣は、さらに袁氏を攻撃するように進言しますが、

郭嘉は、これに反対しました。

 

郭嘉

 

「袁尚と袁譚には、好きなだけ喧嘩させて自滅させるのが得策です。

今、閣下が、さらに攻撃を加えては、反目している二人は団結して、

返って攻略が遅れます、黙ってみていればいいのです」

 

曹操は郭嘉の意見に従い、袁譚と袁尚を争わせ疲れ切ったところを

攻めて、難なく攻略しました。

 

郭嘉

 

そんな郭嘉ですが、素行が悪い不良成年だった事も知られています。

それは同僚の陳羣(ちんぐん)に告発される程ですが、

具体的に、どんな不品行だったかは不明です。

 

郭嘉

 

しかし、当時の儒教倫理に反する事でしょうから、

ギャンブル、過度の飲酒、女遊び辺りが該当するのではないでしょうか?

一説には、郭嘉は当時の不治の病、結核を患い、命が長くない事を知り

その反動でプライベートでは、刹那的な行動が多かったようです。

 

あとの二人、孔明と周瑜は、品行については極めて良く、

むしろ、品行が悪い人間を告発する側にあると言えます。

 

郭嘉

 

しかし、冴えわたる権謀術数と刹那的な生き方こそ、

郭嘉の持ち味だと言えるでしょう。

 

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24時間働けるランキング1位 孔明(こうめい)

孔明 コペルニクス

 

諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)は、

西暦181年生まれで、郭嘉よりは11歳下、

周瑜よりは6歳下という事になります。

 

孔明

 

27歳頃まで、荊州の隆中という所で、晴耕雨読して過ごしていますが、

この頃までが、孔明の人生で一番暇な時期でした。

 

㈱三国志 劉備 孔明

 

劉備(りゅうび)が入蜀して、蜀漢が建国されると

劉備の軍師であった孔明の仕事はどんどん増加していきます。

まず、蜀漢帝国の丞相と禄尚書事(ろくしょうしょじ)を兼務し、

また仮節を与えられ、軍令に違反した兵士を処罰する仕事も担当します。

 

孔明

 

さらに、張飛(ちょうひ)が殺されると、

張飛のポストである司隷校尉(しれいこうい)も兼務します。

これは、首都の警視庁長官のような地位です。

総理大臣の職と、皇帝への上奏文のチェック、さらに首都警視庁長官

これでは、寝る間もない忙しさです。

 

魏延 孔明

 

孔明は元々、人に任せるという事が出来ない完璧主義者であり、

オーバーワークだと知りながら、仕事を減らせなかったのです。

 

実際に、襄陽記には、孔明が金銭や穀物の出納記録を調べていると

部下の丞相主簿(しゅぼ)、楊顒(ようぎょう)がやってきて・・

 

「丞相、、このような仕事は、どうか私達にお任せ下さい

あなたには、あなたの仕事があり、私達には私達の仕事があります。

それぞれの職責を尊重して、侵さず信頼しあわないといけませんよ」

 

と説教をしたので、孔明は、「いやすまない、、忠告感謝する」と

に楊顒に感謝したと言われます。

 

孔明過労死

 

ですが、孔明は、生来の何でも自分でやる癖は直らず、

夜も眠れないようになり最後には過労死してしまうのです。

 

周瑜や郭嘉も忙しかったでしょうが、自ら三役も四役も買って出て

部下に働きすぎを叱られても、改めず過労死してしまった孔明には

流石に及ばないでしょう、元祖ワーカホリックに相応しいです。

 

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趣味ランキング 1位 周瑜

周瑜

 

さて、軍師の能力ばかりではなく、プライベートな趣味を比較してみましょう。

仕事ばっかりで無趣味では、人間的魅力も半減するというものです。

 

もっとも、趣味で秀でている軍師と言えば、周瑜でしょう。

彼は今でいう絶対音感を持っていたようで、宴席で酒が三杯回っても、

奏楽に間違いがあれば、振り向いて、それを指摘したそうです。

 

周瑜 周郎

 

また、周瑜は、孫策の配下になった時に2000の兵力と

軍馬五十を与えられますが、その中には軍楽隊もあったかも知れません。

だって、これだけ音楽にうるさいのですから、それが自然でしょう。

 

孔明 コペルニクス

 

仕事人間で、無趣味のように見える孔明ですが、実際は発明マニアです。

紙芝居から、鎧、饅頭まで様々なモノを発明した事にされていますが、

それも、実際に孔明が色々の道具を工夫した事実から出ている、

噂の尾ひれだと言えるでしょう。

 

確実に孔明の手が加わったものと言えば、現在の土砂搬送用の

一輪車の原型である木牛があります。

これは、北伐時に兵士が、自分の消費する食糧を自分で運べるように

考えて発明されたようです。

 

一応趣味ですが、仕事の実益を兼ねているので、純粋に趣味としては、

周瑜の音楽には一歩及びませんね。

 

郭嘉

 

最後の郭嘉ですが、これといって趣味らしいものは発見できませんでした。

ただの仕事人間には見えない、ちょい悪な郭嘉なので、

女性を口説くのが趣味とか、あったかも知れませんが伝わっていません。

ですので、第3位とさせて頂きます。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

孔明、周瑜郭嘉、三国志で人気のある軍師を比較ランキングしてみました。

それぞれに個性があり、超人的な部分があり、少しも被らないのが、

素晴らしいですね。

享年については、周瑜が35歳、郭嘉が37歳、孔明53歳と、

孔明がやや長生き、あとの二人は短命です。

それでも全体からみると、三人とも生き急いだという感じですかね。

 

本日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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