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三国志の時代でも副業が流行っていた!サイドビジネスの種類を紹介!

2016年6月28日


 

劉備

 

日本では不景気が続き、なかなか賃金が上がらない状態が継続しています。一方で物価は上昇するので、手っ取り早くサイドビジネスを開始し、運と才能次第でウン万円、人によっては本業より稼いでいる人もいます。

 

しかし、このような事は、何も現代日本だけの現象ではありません。1800年前の中国でもサイドビジネスは大流行していたのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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重農主義ながら、金銭万能主義が通った漢の時代

孔子 儒教

 

漢の時代とは、儒学者が幅を利かせていたので、重農主義と商業抑制でした。そこには、商売人は品物を右から左に移動させるだけで儲けていて怪しからんという儒教的な考え方が存在します。

 

そこで、農業が根本とはされましたが、現実には農業は儲けが薄く、商業は儲けが大きいので必然的にサイドビジネスが大流行しました。後漢時代は、特にその傾向が顕著で皆、農業を捨てて商売ばかりすると儒教官僚に嘆かれた程でした。

 

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かなり多かったサイドビジネスの種類

陳平

 

当時の人々は、官僚や商人、農民、易者、職人、猟師、漁師というように様々な階層に分かれていましたが、それのみを仕事にする人は少なく、皆、空いている時間を利用してのサイドビジネスで銭を稼いでいました。では、どんなサイドビジネスがあったのでしょうか?

 

・日雇いの畑仕事・・お金も学問も無い人は、お金持ちの畑仕事を手伝い日雇いの銭を受け取るガテン系の方法がありました。佐伝の申鮮虞(しんせんぐ)という人物は、崔氏の乱で魯に逃れ、僕賃という日雇い労働をしていたと記録にあります。

 

・運送業・・・・ロバなどを調達して、運搬事業を請け負うという方法もあります。これは後漢を建国した光武帝が太学の学費の捻出に困った挙句、友達の韓君と割り勘で驢馬を購入して運送業を開始したという記述があります。こちらは、恐らくスピード命で、出来高払いだった可能性が高いです。

 

・写本バイト・・文字が書ける人には、写本のバイトがおススメです。都市の太学の周辺には本を扱う市が立ち、学生用に写本を造るバイトがあったようです。根気のいる大変ですが、写本しながら本を読めるメリットもあり、後漢の王充(おうじゅう)などは、このサイドビジネスの達人だったようです。

 

・水夫・・・・江南などの水が多い土地出身の泳げる人向きのサイドビジネスです。当時は陸上運搬より水上運搬が安かったので盛んに利用されました。

 

 

・馬車のバイト・・元手は要りますが、馬車を購入し荷物運送と

人の運送で稼ぐ事が出来ます。

漢の時代は、庶民でもお金さえ払えば、馬車を利用できました。

塩鉄論では、五羖(ごこ)という人物が民間の馬車を

賃車(チャーター)して秦に入ったという記述があります。

 

・フリーマーケット・・公的な市場ではありませんが、

坐賈(ざこ)という座りながら行うフリマのようなビジネスが存在しました。

里(り)のような市場から遠い小規模な村でも出来たので手軽です。

野菜、祭祀の道具、肉、農具など色々な物を売る事が出来ました。

 

・流通業・・材木や穀物、調味料などを大量に購入し高値がつきそうな

地域で売りさばきます、成功すれば、3倍、5倍、10倍の大儲けが出来ますが

失敗すれば原価割れを起こす、極めてリスキーなサイドビジネスです。

 

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下級役人にも多かったサイドビジネス利用者

陳平

 

一見すると社会の勝ち組のような役人にも、実はサイドビジネスの利用者がかなりの数存在していました。役人は丞相が月給6万銭という高額の給与を貰うのに対し、下っ端の下級役人の佐史は僅か数百銭と落差が激しかったのです。当然、これでは喰えないので肉体労働をしたりしてお金を稼いでいました。

 

一見すると青白いインテリが多そうな、知識人階級でも、中級以下は、バイトで忙しく、日に焼けていたのかも知れません。

 

 

三国志ライターKAWAUSOの独り言

kawauso 三国志

 

こうして考えるとサイドビジネスは、日本だけではなく、遥か昔から、中国では当たり前だった事が分ります。拝金主義で金儲けが上手いと言われる中国人ですが、そのルーツは、こんな所にもあるのかも知れません。

 

本日も三国志の話題をご馳走様・・

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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