広告募集
李傕祭り

はじめての三国志

menu

はじめての変

【素朴な疑問】三国志の時代にも居酒屋ってあったの?

この記事の所要時間: 48

桃園の誓012

三国志演義は、劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)

桃園結義から始まります。

 

劉備と張飛は、黄巾賊を討伐して漢王朝を助けるという意見で意気投合して、

近くの居酒屋で酒を飲み、後から来た関羽とも意気投合し義兄弟の契りを結びます。

でも、実際、大昔の後漢の時代に居酒屋なんかあったのでしょうか?

 

 

貨幣経済の開始と同時に営業を始めた居酒屋

董卓紙幣

結論から言いますと、後漢の時代に、すでに居酒屋はありました。

というより、それ以前から居酒屋は存在していたようです。

紀元前6世紀に、戦国七雄の斉(せい)で金属貨幣が製造され始めると

貨幣と引き換えに酒を出すサービス、居酒屋の原型が出来たと考えられています。

 

司馬遷(しばせん)の史記には様々な場面で居酒屋の描写が存在しています。

史記の成立が前漢時代としても、その頃には居酒屋が存在していなければ、

司馬遷が居酒屋の記述を残す訳はありません。

 

つまり、史記の編纂の中で司馬遷が過去の時代の酒が絡む逸話を前漢時代の

居酒屋に置き換えて執筆したとしても、少なくとも2000年の昔には、

私達がイメージするような居酒屋は存在したという事になります。

 

関連記事:「斉」ってどんな国?キングダム戦国七雄を徹底紹介

関連記事:三国時代の経済ってどうなってたの?

関連記事:後漢末の貨幣経済を破綻させた、董卓の五銖銭(ごしゅせん)

秦の時代の末に見る、居酒屋の風景

劉邦

漢の高祖劉邦(りゅうほう)は無類の酒好き女好きで知られました。

司馬遷は、この劉邦の事も史記に書いていますが、そこには当時の居酒屋の

情景というのが活き活きと映されています。

 

「劉邦は酒と色を好み、いつも王媼(おうおん)、武負(ぶふ)の店で

ツケで酒を飲んでいた。

彼が酔い寝をしていると武負も王媼も劉邦の上に龍が廻っているのを見て不審に思った。

劉邦が来て飲んでいると酒の売上は数倍になった。龍の不思議を見て以後、年末になると、武負の店でも王媼の店でもツケ印の券をへし折り、貸し金を帳消しにした。」

 

これを見ると、秦末の地方都市の沛(はい)では、少なくとも、王媼(王婆さん)と

武負(武婆さん)が経営する二軒の居酒屋があり、その店ではツケが利いたという事。

酒代のツケは年末にまとめて支払った事が分かります。

また、当時は紙が無いので、ツケは券という名前の木簡に記録して

ツケを支払うとそれを折って捨てていたという事も分かります。

 

前漢時代に入ると、一時、禁酒令が敷かれる

劉邦おんぶ 優秀な人材

劉邦は酒好きでしたが、漢王朝は天下を統一すると禁群飲(きんぐんいん)

という法律を出し3名以上で集まり酒を飲むと罰金に処すと言い出しました。

その理由は、居酒屋で反政府的な議論が起きて酒の勢いで群衆がエキサイトし

暴動に発展しかねないという恐れがあったからのようです。

 

まだ、天下統一から間もない時代、血の気の多い人は大勢いたようです。

 

或る程度、天下が安定すると漢王朝は酒造りを国の専売制にして、

大儲けしようと企みますが、これは多くの学者の反対で17年で廃止されます。

それからは、漢王朝は民間の居酒屋を認めますが、同時に酒の消費に合わせて

酒税を取り立てる事を忘れませんでした。

 

このようにして、禁群飲は税金収入の為に有名無実化していき、

漢が繁栄するようになると民も豊かになり酒の消費量も増加していきました。

 

後漢時代の劉寛(りゅうかん)の酒の逸話

劉寛 酒

 

時代が後漢時代に入っても居酒屋は、繁盛していたようです。

後漢の時代、桓帝(かんてい)、霊帝(れいてい)に仕え

尚書令、太中大夫の要職を歴任した劉寛の話には以下のような逸話があります。

 

「宴会があるので、劉寛が奴隷を居酒屋に派遣して酒を買わせた所、

その奴隷は酒を持ち帰らないで自分がベロベロに酔って帰ってきた。

劉寛は怒り「この畜生めが!」と奴隷を怒鳴りつけた」

 

酒を持ち帰らず、自分が飲むとは不真面目な奴隷もいたものです。

 

ともかく、ここで分かるのは当時の居酒屋が酒を小売しつつ、

そこで飲む事も出来たという事でしょう。

 

そして、劉寛のような大官の屋敷でも酒は自分で造らず

買って済ませている事から、当時、酒は買うものという意識があった

という事も分かってくるのです。

 

三国時代の居酒屋って、どんな雰囲気だったの?

三国志 居酒屋

 

三国志のテレビドラマや映画では、椅子にテーブルというお馴染みの

スタイルの居酒屋が出てきますが、これは演義の記述を基にしたフィクションです。

中国で椅子とテーブルの生活が一般化したのは唐代以後の事で、

三国志の頃には、床に座るという昔の日本のようなスタイルが一般的でした。

 

では、居酒屋でも同じかというと、当時の居酒屋の内部を描いた資料がないので

正確な事は分かりませんが、椅子とテーブルが無い事は間違いないでしょう。

 

代わりに三国時代には木で造られた長椅子のようなものがあり、

そこに腰を掛けて休んだりしていました。

 

恐らく居酒屋には、この長椅子があり酒は長椅子の傍らに置いて、

飲んでいたのではないか?と思えるのです。

 

【次のページに続きます】

 

ページ:

1

2

関連記事

  1. 夏侯惇は本当に自分の目玉を食べたの?
  2. そうだったのか!武器の特徴を知ると三国志の時代の戦い方が分かる!…
  3. 【ネオ三国志】第10話:呂布の籠城戦VS曹操の水攻め【蒼天航路】…
  4. もし張飛が殺されなかったら「夷陵の戦い」はどうなった?
  5. これはひどい。曹操の短歌行にパクリ疑惑が!?
  6. 中国史上、最大の軍師は誰なの?孔明?司馬懿か?
  7. 0話:歴史は繰り返す!三国志エピソード ゼロ
  8. え!そんな理由なの?丁儀は曹丕に馬鹿にされたから曹植を応援した?…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 三国志ならともかく戦国時代は興味がないから大河ドラマを見ないあなたへ。こうすれば真田丸も楽しめる!
  2. もし劉備が夷陵の戦いに勝っていたら歴史はどうなった?
  3. 【ファン必見】2016年スーパーエリート袁術君の活躍まとめ26選
  4. クリスマスの日には三国志の人々は何をしていたの?
  5. 日本人必見!楠木正成(くすのき・まさしげ)は孔明に並ぶと讃えられた忠義を尽くした武将
  6. ひとりしかいない筈なのにたくさんいた? 『皇帝』のお話

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志の書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

『李傕・郭汜祭り』の電子書籍出版のお知らせ 【ネオ三国志】第1話:蒼天航路の主人公・曹操立つ 【後漢王朝はこうしてダメになった】外戚VS宦官の争いってどうして起きたの? 董卓が漢王朝を支配しなかったら三国志はどうなっていたの? 【三国志演義】孔明が残した錦嚢策(きんのうのさく)って一体なに? 法正が「隗より始めよ」のことわざを引用して劉備に進言したけど、どういう意味? 三国志の時代の数学を体験してみよう!なんと円周率はおよそ3ではなかった!? 孫権が張昭を呉の丞相に任命しなかったのはどうして?

おすすめ記事

  1. 【一触即発】益州の争奪をめぐって劉備と孫権が対立しそうだった
  2. 曹操は周瑜も魏軍に取り込もうとしていた!孫呉の大都督・周瑜も欲しがった人材マニア
  3. えぇぇ~!?あの孔明が劉備に対して怒りの仮病!?
  4. 【キングダム】趙の慶舎(けいしゃ)は実在したの?史実を元に真実の姿を解説
  5. 秦の昭襄王(しょうじょうおう)って戦神と言われるほど本当に強かったの?
  6. 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第20話 「罪と罰」の見どころ紹介
  7. 三国時代の税金の種類と分類をわかりやすく解説!税制がわかると三国志もよく分かる!
  8. 【日本史の嘘】長篠の合戦は鉄砲三段撃ちのワンサイドゲームでは無かった?

はじさん企画

李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
PAGE TOP