三国志の時代の人々は、どんなものを食べていたのでしょうか?
現在のイメージでは、中華料理のような脂っこい食事を連想しますが、意外や、意外、当時のご馳走は、現代の日本人でも食べたくなるような、居酒屋風の日本人好みの味付けもあったりするのです。
それでは、斉民要術という古代中国の料理書に実際に記された、三国志の時代の料理と調理法を見ていきましょう。
お通しに最適、鱠(なます)
居酒屋といえば、注文を取りにくると同時に出されるお通しは外せませんね。冷や奴だったり、枝豆だったり、簡単な煮物だったりしますが、こういう小皿の一品が出ると、居酒屋へ来た感、満載でテンションが上がります。
さて、三国志の時代には、鱠というお通しに最適な料理がありました。鱠は、川魚の肉を細かく切り刻み、葱や山椒、香草のような薬味と共に、魚醤(ジャン)をかけて頂くという料理です。
春秋戦国時代の思想家、孔子(こうし)や、三国志の名参謀、陳登(ちんとう)の好物だったと言われている鱠。いかにも、さっぱりしていて、夏場なんかはビールに合いそうです。
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居酒屋と言えば、ガッツリお肉 腩炙(なんしゃ)
いきなりですみませんが、皆さんは、居酒屋で低カロリーの料理ばかり注文してる奴を見るとムカつきませんか?
てめえ、何しに居酒屋に来たんだよ!折角、居酒屋に来たんだから、注文するなら肉に決まってんだろうが!!にーく!ニーク!肉!肉!お肉!肉サイコー!ヒューッ!!(発作)
ところで、三国志の時代にも腩炙というあぶり肉の料理が存在しました。造り方は、牛、豚、羊、鶏、なんの肉でもいいので、何かの肉を包丁で一口大の大きさのブロックに切ります。
次に、長ネギの白い所を細かく刻んだものと塩、豆板醤を混ぜ合わせたタレを用意して、タレの中にブロック肉をしばらく浸すのです。そのあとは、タレのしみた肉を鉄串に通して、強火で回しながら炙ります。こんがりと赤く焼き色がついたら完成です。こちらの腩炙、かぶりつくと、肉汁が口中に溢れ出て大変に美味です。
このゆるーいイラストは3世紀、ちょうど、三国志の時代の壁画を参考にしたものですが部下の男が三又の串を主君に「焼けたようですよ」と差し出しています。この串肉が、恐らく腩炙でしょう。
ビールと言えば、ソーセージだろが! 灌腸(かんちょう)
さて、燃えるゲルマン魂ではありませんが、ビールと言えば脂っこいつまみ、ポテトもいいですが、やはりソーセージは欠かせないそうは思いませんか?
このビールとの相性抜群のソーセージは、灌腸という名前で三国志の時代にも存在していました。名前がカンチョウで、材料が羊の腸なので食欲が減退しそうですが、灌(かん)とは、洗い流すという意味なので、御心配なく・・
この灌腸は、ドイツの場合と同じで、羊の肉を使います。まず、羊の肉を細かく刻む・・つまりミンチにしてしまいます。そして、ミンチ肉に、白ネギのみじん切り、豆板醤、生姜、そして、椒末(しょうまつ:トウガラシの一種?)を加えて、薄く塩味になるように味を調えます。
それから、羊の腸を取りだし、内容物を抜き取ってから裏返したっぷりの水で臭みが取れるまで綺麗に洗います。こうして、味を調えたミンチ肉を腸に詰めて、両端を縛り火で炙ると、香ばしい灌腸が完成します。燻製にはしませんが、これまんまのソーセージですよね(笑)
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三国志ライターkawausoの独り言
斉民要術は、成立が6世紀なので、三国志の時代より少し後の内容も含まれますが、周辺異民族や、遠くローマの文物が入ってきて、かなり多様になった食文化の一端が見てとれます。それにしても、今回紹介した料理、現代日本の居酒屋メニューかと思う程にお酒が合いそうです。
三国志の英傑達も、もし現代にタイムスリップしてきても、居酒屋に招待すれば、美味しい、美味しいと料理を食べてくれるのではないでしょうか?
本日も三国志の話題をご馳走様・・
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