ライセンシー募集
北伐

はじめての三国志

menu

三国志の雑学

合体!曹&袁コンビ!董卓軍をフルボッコに撃破する方法!!

この記事の所要時間: 225




袁術と袁紹の喧嘩

 

初平元年(190年)、華北一帯の英雄軍閥が一斉に董卓追討の旗を掲げます。

兵力二十万とも呼ばれる「反董卓連合」です。

対する相国の董卓は献帝を擁して漢の官軍を掌握し、兵力二十万以上。

天下分け目の大戦となりますが、勝敗は決せぬまま、反董卓連合は一年後に瓦解します。

強力なリーダーシップを発揮できる大将がいなかったために

連合軍には連帯感というものが欠けていました。

では、どうすれば反董卓連合は董卓を討つことができたのかを推測していきたいと思います。




曹操が大将となる

曹操

 

戦の機微に長けている曹操が発言権と指揮権を持っていれば、

反董卓連合が勝つ可能性はとても高くなっていたでしょう。

このとき強い権力を有していたのは袁紹です。

袁紹の思考は、悪逆非道を尽くす董卓は包囲しておけばいずれ内側から崩れるという予測を持っていたと思います。

そのため反董卓連合は持久戦を選択し、日々、宴会に明け狂うようになっていました。

小田原城を包囲した豊臣秀吉の軍のような感じだったのではないでしょうか。



勝敗を決するタイミング

董卓&呂布

 

仮に曹操が大将を務めていたとはいえ、精鋭を誇る関西の兵力にそう簡単に勝てるはずもありません。

董卓軍には武勇が鳴り響いている呂布や華雄などの猛将が揃っていましたし、

指示系統も統一されています。

反董卓連合が攻めるのならばどこのタイミングが一番適切だったのでしょうか。

それは間違いなく董卓の洛陽から長安に遷都する行軍の後背を突くときでしょう。

袁術と孫堅の兵が、猛将・華雄を討った場面があります。

陽人の戦いと呼ばれていますが、この敗戦で董卓は遷都を決めたと云われています。

洛陽から長安まで約300㎞。

恐ろしほどの長旅です。しかも二十万以上の兵力の他に洛陽の民衆も移動させました。

果たしてどれほどの月日がかかったのでしょうか。

軍は東西に伸びています。願ってもいない千載一遇のチャンスです。

 

関連記事:董卓はどうしてデブになったの?真面目に考察してみた

関連記事:呂布だけじゃない!こんなにいる董卓の優秀な側近4選

関連記事:偶然の遭遇から因縁の仲へ!孫堅と董卓は元同僚だった!?

 

好機を逃す

顔良と袁紹

 

曹操は当然のようにこの好機を逃さぬよう、追撃の要請を袁紹にしますが、

袁紹はじめ諸侯はなかなか重い腰をあげません。

いたずらに兵を失うことを恐れていたためです。

洛陽を放棄した董卓に対して、勝ったという感触があったのかもしれません。

曹操は独断で董卓を追撃しますが、兵力が圧倒的不足しており、

さらに董卓軍の将・徐栄らの伏兵に遭って敗北します。

もし曹操が反董卓連合の大将であり、ここで将兵を統括して長安を突いていたら

董卓軍は甚大な被害をこうむっていたでしょう。

袁紹に優柔不断な将というレッテルを貼ったのはこのときです。

おかげで董卓は二十万の兵を無傷で長安に動かし、さらに朝廷を掌握し、太師に就きます。

 

関連記事:あれほど豪華なメンツが揃っていた反董卓連合軍が董卓に負けた理由

関連記事:【初心者向け】反董卓連合軍はどこに布陣していたの?

関連記事:反董卓連合軍に参加したのは、誰と誰なの?【素朴な質問】

 

袁術・孫堅の援護があれば

孫堅

 

曹操が独断で追撃したときに行動を共にしたのは、鮑信と張邈の配下です。

ちなみに曹操は兵を五千ほどしか有しておらずに張邈から借りていたと云われています。

このときに強硬派の袁術や孫堅が協力していたら、戦の流れは変わっていたかもしれません。

しかし、反董卓連合は一か所に集まっていたわけではなく、

袁術軍は南から董卓にプレッシャーをかけていたので、

東の陳留にいた曹操とは息が合わなかったのでしょう。

曹操の敗北の後に洛陽を占拠したのが袁術です。

もしこのとき曹操と袁術がタッグを組めたら董卓軍への追撃はもっと効果的なものになっていたはずです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

名士が強力な発言権を持っていた時代です。

キャリアの薄い曹操が大将になることはまず無理な話です。

もし張邈なり袁紹なりが曹操の力量を認めて指揮権を委任していたら

戦は大きく変わっていたかもしれません。

プライドの高い袁紹がそれを認めるはずもありませんが・・・。

少なくとも曹操が袁術とだけはもう少し連携を濃くしておけば、

戦の流れも変わったはずなのにと残念に感じてしまいます。

 

関連記事:董卓は実は名将軍であるという根拠

関連記事:洛陽に続き、長安でも好き放題をした董卓

関連記事:後漢末の貨幣経済を破綻させた、董卓の五銖銭(ごしゅせん)

 

—自称皇帝の袁術をたっぷり紹介!—




よく読まれている記事

袁術

 

よく読まれている記事:【これは悲しすぎる】今や忘れさられた袁術の墓

 

朝まで三国志

 

よく読まれている記事:朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第1部

kawauso 投壺

 

関連記事:三国時代の娯楽にはどのようなものがあったの?タイムスリップして当時の人に取材してみた

 

袁紹 曹操

 

よく読まれてる記事:【三国志if】もし袁紹が官渡の戦いで曹操に勝ってたらどうなってたの?

 

この記事を書いた人:ろひもと理穂

ろひもと理穂

■自己紹介:

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。

 

■好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

 

■何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 根拠のない夢を信じないリアリスト曹操
  2. 【結構苦労が多いんです】三国志時代の転職事情が想像以上に複雑だっ…
  3. 【はじめての孫子】第8回:夫れ兵の形は水に象(かたど)る。
  4. 集まれ曹操の25人の息子たち・その1
  5. 楽進(がくしん)ってどんな人?演義では地味だが正史では大活躍しち…
  6. 【袁術特集】孫家に吸収された袁術の子孫たちはどうなったの?
  7. 銅雀台(どうじゃくだい)ってなに?どんな建物で何をするところだっ…
  8. 中国古代四大美人のひとり貂蝉はどうやって生まれたの?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース8記事【9/12〜9/18】
  2. 蔡夫人、張允、蔡瑁、トリオ攻撃が劉備を追いつめる!
  3. 【真田丸特集】有能なのに歴史の影に埋もれてしまった真田信之と程昱!ジミーズ二人の共通点
  4. えぇぇ~!?あの孔明が劉備に対して怒りの仮病!?
  5. 口は災いの元だと痛感できる廖立(りょうりつ)のエピソード
  6. 【余裕をみせすぎて大失態】やっちゃった感が否めない曹操のやらかしエピソード 濮陽の戦い編

三國志雑学

ピックアップ記事

おすすめ記事

【週間まとめ】はじめての三国志ニュース13記事【8/15〜8/21】 ひでえ!!孫権を騙して魏と戦わせた魯粛と周瑜が腹黒過ぎる 【結構苦労が多いんです】三国志時代の転職事情が想像以上に複雑だった 【赤壁の戦い】なぜ曹操は天下分け目の大戦に負けたの? え?そうだったの!?西遊記の目的はお経を取る事では無かった? 【キングダムに描かれない】秦の時代の貧困のリアルを追ってみる 戦国最強の同盟を成立させた名軍師・太原雪斎(たいげんせっさい)の活躍 【火鼠の皮衣】曹丕、とんだ赤っ恥!燃えない布などあり得ない(キリッ!

おすすめ記事

  1. 楽進(がくしん)ってどんな人?演義では地味だが正史では大活躍しちゃうよ?
  2. 47話:曹操軍、新兵器 発石車で石弓隊を撃破!
  3. 【官渡の戦い前哨戦】文醜はどうして敗北することになったの?
  4. 董卓が狼ならば、孫堅は何?袁術が真に受けた例え話
  5. たった26年の生涯を駆け抜けた小覇王・孫策
  6. 曹洪(そうこう)ってどんな人?地味で目立たないが、曹操を支え続けた忠臣
  7. 孔明の北伐の目標はどこだったの?
  8. ひとりしかいない筈なのにたくさんいた? 『皇帝』のお話

はじさん企画

帝政ローマ
特別企画


袁術祭り

異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
はじめての三国志TV
PAGE TOP