偶然の遭遇から因縁の仲へ!孫堅と董卓は元同僚だった!?

2016年3月22日


 

董卓&呂布

 

孫堅(そんけん)と言えば、正史三国志では、

ほとんど一人で董卓(とうたく)相手に奮戦し董卓に洛陽を放棄させた、軍功一番の人物として知られています。

しかし、孫堅が董卓に遭遇するのは、西暦190年ではありませんでした。

それよりも4年も前、孫堅は董卓と同僚として会っていたのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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西暦186年、孫堅、董卓と遭遇する

暴れる黄巾党008

 

西暦186年、黄巾賊の乱が一応終息した頃、

涼州では辺章(へんしょう)と韓遂(かんすい)が反乱を起していました。

それに対して、朝廷は、董卓に兵を与えて討伐させたものの、

芳しい成果を上げる事は出来ません。

 

そこで、朝廷は、司空(しくう)の張温(ちょうおん)を車騎将軍として、

長安に駐屯させます、この時に張温の参軍として参加していたのが孫堅でした。

 

張温、董卓を呼びだすが、、

表情 董卓03

張温は、軍を長安に駐屯させて、そこから董卓を呼び出します。

董卓は、詔を受けますが、わざとだらだらとやってきました。

 

張温「董中郎将、そなた、あまりにも、賊の討伐が遅いではないか?

一体、何をだらだらとしているのか?帝も立腹であるぞ!」

 

董卓「えーっとお、、韓遂がぁ、、強くてぇ、、頑張ってるんですけどォ・・

中々、上手くいかない、みたいなぁ、、オガッ」

 

表情 董卓04

 

董卓は叱られているにも関わらず、態度がデカく不真面目でした。

それを張温の横で見ていた孫堅は、張温の側により耳うちします。

 

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孫堅、張温に董卓を斬るように進言

孫堅 ゆるキャラ 三国志

 

孫堅「将軍、、董卓は、罪を恐れておらず、態度もデカイままです。

こんなヤツは将来、ろくな事をしないでしょう。

約束の期日に遅れた事を理由に死刑にしておしまいなさい」

 

いきなり、董卓を死刑にしろという孫堅に張温は慌てます。

 

張温「いや、董卓は西涼では武功が絶大だ、これを殺してしまっては

今後、西涼に睨みが効かなくなるであろう・」

 

孫堅「これは異な事を、将軍は皇帝の軍を預かり、威光は輝くばかりです。

なんで、董卓などに頼る必要がありましょうか?」

 

孫堅は、このように言い、さらに董卓を斬るべき3つの理由を挙げます。

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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