この記事の目次
- 1ページ目
- 乱世の英雄・劉備死す
- 南方が反旗を翻す
- 呉へ使者を送る
- 2ページ目
- 鄧芝の弁舌が孫権を動かす
- 鄧芝の活躍により蜀・呉同盟が復活
- 初めての戦
- 反乱軍の首謀者達の討伐に成功
- 「七禽七縱」の故事が生まれる
- 3ページ目
- 国力増強に励む
- 出師の表を書いて決意を示す
- 魏延の進言
- 魏延の策を採用しなかった理由
- 孔明の作戦
- 馬謖の軍略に期待を寄せる
- 4ページ目
- 孔明の命令を無視して山上へ陣取る
- 馬謖が陣取る山上を包囲
- 馬謖が大敗北し、北伐は失敗に終わる
- 「泣いて馬謖を斬る」
- 自らの罪を明らかにして、降格を願う
- 5ページ目
- 第二次北伐を開始
- 陳倉城の鉄壁に敗れる
- 魏領土の奪い戦果を挙げる
- 魏軍を打ち破り、北伐が成功!?【第三次北伐】
- 蜀の重鎮が兵糧輸送の仕事を怠る
- 6ページ目
- 李厳の反逆を裁く
- 色々な兵器を開発する
- 呉に合肥攻撃を依頼する
- 孔明最後の北伐開始
- 合肥で呉軍が敗北
- 孔明が倒れて…そして…
- 三国志ライター黒田廉の独り言
鄧芝の弁舌が孫権を動かす
鄧芝は呉へ赴き孫権と会見することになります。
彼は孫権と会見すると「王よ。長江の険峻な守りを用いて、魏との同盟を破棄して、
蜀と同盟を結んで魏へ攻撃を仕掛けていけば、
魏を倒すことができると思います。
魏を討伐することに失敗したとしても魏は国力のすべてを傾けて、
呉を討伐することはできないでしょう。
それは諸葛孔明率いる蜀が東にいるからです。
魏がもしも国を挙げて全力で呉を攻撃したとしても、
蜀が軍勢を北上させて、魏の領土に攻撃を行うため、
魏は呉へ全力で攻撃することはできません。」と一度言葉を切って孫権を見上げます。
孫権は鄧芝の言葉を聞きながら、何度もうなずいておりました。
鄧芝は自らの弁論が孫権に響いている手ごたえを感じて、
論を展開していきます。
鄧芝の活躍により蜀・呉同盟が復活
鄧芝は孫権に対して再び、鮮やかな弁舌を再開します。
彼は「しかし魏との同盟を維持している場合、
魏から色々と要求を突き付けられる事になります。
そして一つでも魏の要求をはねつけた場合、
魏は呉に対して攻撃を行うことになるでしょう。
この時蜀軍も永安から軍勢を出陣させて、荊州へ攻撃を仕掛けた場合、
王はどのようにして魏と蜀の両軍からの攻撃を防ぐのですか。
危機に瀕した時に蜀へ同盟を持ち掛けても成立させることは難しいと思います。
そのため、両国が同盟を締結させ、協力して魏に攻撃をかければ、
蜀も呉も滅亡のする可能性は低く、魏を圧倒することも可能です。
蜀と同盟を結んで魏を滅ぼし、共に天下統一を実現させませんか。」と結びます。
孫権は鄧芝の言葉をすべて聞くと、「わかった。再び同盟を結んで、
共に魏を討伐しようではないか。」と伝えます。
こうして蜀・呉同盟は再締結することになり、孔明の一番の不安要素が無くなり、
南方の反乱鎮圧に全力を傾けることが可能となります。
初めての戦
孔明は鄧芝が帰ってくると大いに彼を誉めた後、
ついに南方の反乱軍討伐へ出陣しますが、この戦いは孔明にとって大事な戦でした。
孔明は今まで劉備に従っていくつかの戦いに参加することはありましたが、
劉備の相談役として従っていたので、武将や軍勢を率いての戦いは一度も
したことがありませんでした。
そして今回の南方の反乱鎮圧戦は、孔明が初めて兵士や武将を率いての戦いになるので、
自分がどの程度、武将達や兵士達を指揮することが可能なのかを試す
絶好の機会となります。
反乱軍の首謀者達の討伐に成功
孔明は東と西に軍を分けて、東西で進軍をしていき反乱軍を挟み撃ちにして、
鎮圧する方法を取ります。
東回りで進軍を行っていくのは夷陵の戦いに参加して、
軍略の才能を発揮させた馬忠(ばちゅう)が兵を率いて進軍します。
孔明は自ら軍勢を率いて西回りで進軍していきます。
そして東西の軍勢が合流するポイントは南方の奥地にある味県(びけん)と言われる
場所です。
こうして東西に分かれて進軍を開始。
西回りの兵を率いる孔明は、反乱軍を次々と撃破していき、
反乱軍の首謀者の一人である高定(こうてい)を処断し、味県に到着します。
馬忠も反乱軍の首謀者を討ち、孔明との合流ポイントに到着。
「七禽七縱」の故事が生まれる
東西に分かれて反乱軍を討伐していった二軍は、反乱軍敗残兵をまとめて、
大将となった孟獲(もうかく)を討伐するため、南方奥地へと進軍を行っていきます。
孟獲討伐戦では七度、彼の軍勢を破っては捕らえ、
ついに反乱軍を従わせることに成功します。
孟獲を七度捕らえて、七回目に従わせた故事を
「七禽七縱 (しちきんしちしょう=七たび捕らえて、七度目に従わせた)」と言います。
孔明は孟獲が服従を誓った事で、反乱軍討伐戦は完了したと判断し、
成都へと帰還します。
孔明は南方の反乱鎮圧戦で軍指揮に多少の手ごたえを感じます。
こうして南方は蜀の政権に服従を誓い、特産品や兵士を送ることになり、
蜀の政権は南方からの特産品などを軍事費とする事で、軍備は拡大することになります。
孔明が北伐を継続して行うことができたのは、
南方からの特産品によって軍事費を賄っていたことが第一に挙げられます。
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