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【蜀の建国~滅亡まで】蜀の国を背負って戦い続けた丞相【孔明編】

2016年10月4日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鄧芝の弁舌が孫権を動かす

 

孫権

 

鄧芝は呉へ赴き孫権と会見することになります。

彼は孫権と会見すると「王よ。長江の険峻な守りを用いて、魏との同盟を破棄して、

蜀と同盟を結んで魏へ攻撃を仕掛けていけば、

魏を倒すことができると思います。

魏を討伐することに失敗したとしても魏は国力のすべてを傾けて、

呉を討伐することはできないでしょう。

それは諸葛孔明率いる蜀が東にいるからです。

魏がもしも国を挙げて全力で呉を攻撃したとしても、

蜀が軍勢を北上させて、魏の領土に攻撃を行うため、

魏は呉へ全力で攻撃することはできません。」と一度言葉を切って孫権を見上げます。

孫権は鄧芝の言葉を聞きながら、何度もうなずいておりました。

鄧芝は自らの弁論が孫権に響いている手ごたえを感じて、

論を展開していきます。

 

鄧芝の活躍により蜀・呉同盟が復活

劉備と孫権同盟

 

鄧芝は孫権に対して再び、鮮やかな弁舌を再開します。

彼は「しかし魏との同盟を維持している場合、

魏から色々と要求を突き付けられる事になります。

そして一つでも魏の要求をはねつけた場合、

魏は呉に対して攻撃を行うことになるでしょう。

この時蜀軍も永安から軍勢を出陣させて、荊州へ攻撃を仕掛けた場合、

王はどのようにして魏と蜀の両軍からの攻撃を防ぐのですか。

危機に瀕した時に蜀へ同盟を持ち掛けても成立させることは難しいと思います。

そのため、両国が同盟を締結させ、協力して魏に攻撃をかければ、

蜀も呉も滅亡のする可能性は低く、魏を圧倒することも可能です。

蜀と同盟を結んで魏を滅ぼし、共に天下統一を実現させませんか。」と結びます。

孫権は鄧芝の言葉をすべて聞くと、「わかった。再び同盟を結んで、

共に魏を討伐しようではないか。」と伝えます。

こうして蜀・呉同盟は再締結することになり、孔明の一番の不安要素が無くなり、

南方の反乱鎮圧に全力を傾けることが可能となります。

 

初めての戦

孔明 軍師

 

孔明は鄧芝が帰ってくると大いに彼を誉めた後、

ついに南方の反乱軍討伐へ出陣しますが、この戦いは孔明にとって大事な戦でした。

孔明は今まで劉備に従っていくつかの戦いに参加することはありましたが、

劉備の相談役として従っていたので、武将や軍勢を率いての戦いは一度も

したことがありませんでした。

そして今回の南方の反乱鎮圧戦は、孔明が初めて兵士や武将を率いての戦いになるので、

自分がどの程度、武将達や兵士達を指揮することが可能なのかを試す

絶好の機会となります。

 

反乱軍の首謀者達の討伐に成功

孟獲

 

孔明は東と西に軍を分けて、東西で進軍をしていき反乱軍を挟み撃ちにして、

鎮圧する方法を取ります。

東回りで進軍を行っていくのは夷陵の戦いに参加して、

軍略の才能を発揮させた馬忠(ばちゅう)が兵を率いて進軍します。

孔明は自ら軍勢を率いて西回りで進軍していきます。

そして東西の軍勢が合流するポイントは南方の奥地にある味県(びけん)と言われる

場所です。

こうして東西に分かれて進軍を開始。

西回りの兵を率いる孔明は、反乱軍を次々と撃破していき、

反乱軍の首謀者の一人である高定(こうてい)を処断し、味県に到着します。

馬忠も反乱軍の首謀者を討ち、孔明との合流ポイントに到着。

 

「七禽七縱」の故事が生まれる

孟獲キャッチコピー01

 

東西に分かれて反乱軍を討伐していった二軍は、反乱軍敗残兵をまとめて、

大将となった孟獲(もうかく)を討伐するため、南方奥地へと進軍を行っていきます。

孟獲討伐戦では七度、彼の軍勢を破っては捕らえ、

ついに反乱軍を従わせることに成功します。

孟獲を七度捕らえて、七回目に従わせた故事を

「七禽七縱 (しちきんしちしょう=七たび捕らえて、七度目に従わせた)」と言います。

孔明は孟獲が服従を誓った事で、反乱軍討伐戦は完了したと判断し、

成都へと帰還します。

孔明は南方の反乱鎮圧戦で軍指揮に多少の手ごたえを感じます。

こうして南方は蜀の政権に服従を誓い、特産品や兵士を送ることになり、

蜀の政権は南方からの特産品などを軍事費とする事で、軍備は拡大することになります。

孔明が北伐を継続して行うことができたのは、

南方からの特産品によって軍事費を賄っていたことが第一に挙げられます。

【次のページに続きます】

 

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