【蜀の建国~滅亡まで】蜀の国を背負って戦い続けた丞相【孔明編】

李厳の反逆を裁く


孔明

 

孔明は漢中に全軍を帰還させ、戦後処理を行うと成都へ帰還します。

李厳は孔明に呼ばれ出頭するとすぐに孔明に「なぜ、兵糧はたくさんあるのに

帰ってきたのですか。」と孔明に詰め寄ります。

孔明は李厳の発言に驚きを隠せませんでしたが、

すぐに「あなたが大雨によって兵糧輸送が困難だから帰還してほしいと

手紙を送ってきたから退却したのです。あなたが送ってきた手紙を見せましょうか。」と

切れ気味で李厳に詰め寄り、彼が送ってきた手紙を見せます。

李厳は孔明が激怒している事と自らの手紙を見て反論できず黙ってしまいます。

こうして孔明は李厳に自分の罪を認めさせて、将軍の位を剥奪して平民へ叩き落します。


色々な兵器を開発する

孔明 墨者

 

孔明は第三次北伐の戦いが終了した後、一旦魏への攻撃を控え、

国政を引き締めることに専念します。

また食料を輸送する際の輸送方法を見直し、

誰でも簡単に一定量の兵糧を運ぶことのできる輸送車を完成させます。

その名を「木牛」です。

また兵器の開発にも余念なく行い、孔明が考えた弩(いしゆみ)を速射することが

可能である連弩 (れんど)の開発や熱気球の先駆けで、

離れている各軍に軍の情報を伝えることができる孔明灯(こうめいとう)を開発します。

こうしていくつもの兵器を開発し第四次北伐への準備を行っていきます。

 

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呉に合肥攻撃を依頼する

孔明

 

孔明は再度の北伐を行う前に万全の準備をするため、

同盟国である呉へ合肥(がっぴ)攻撃をするように要請を出します。

呉は孔明からの要請である合肥攻撃を承諾。

こうして孔明は東西から魏を攻撃する事を次回の北伐戦に盛り込む事にします。


孔明最後の北伐開始

諸葛孔明

 

孔明はこうして政治をしっかりと行い国力を蓄え、

軍事面では武器や軍への伝達方法などを改めて、北伐の準備を行っていきます。

彼は漢中へ到着すると呉へ合肥攻撃をするように再度の要請を行った後、

漢中を後にします。

孔明は漢中を出発すると今までの北伐よりさらに長安に近い、

五丈原に陣を据えます。

孔明はこの地に砦を築き、

堅固な防備を施して魏軍がいつ攻撃をしてきてもいいようにします。

また兵糧輸送は一応万全の体制を取っていましたが、

もし兵糧が途中で無くなった場合や李厳のように成都からの兵糧輸送を怠る

可能性があるため、自給できるように兵士達に畑を耕させる屯田制を行っていきます。

こうして孔明は魏軍と何年対峙しても、必ず勝機を見つけ出す決意を固めます。


合肥で呉軍が敗北

司馬懿

 

孔明はこうして魏軍との長い対峙を行っていきます。

この間に魏の総司令官である司馬懿(しばい)を砦から引っ張り出すために、

女物の服を送ったり、挑発的な手紙を書いて司馬懿を挑発しますが、

彼は一切キレる様子もなく、砦から出てくる気配を出しませんでした。

こうして両軍は、一度たりとも砦から出て戦うことをせずに、睨み合いを続けていきます。

こうした中、孔明の要請によって魏の合肥を攻撃していた呉軍が敗北したとの

報告が届きます。

孔明はポツリと報告者に「そうですか」と呟いた後、報告してきた者を労います。

しかし合肥の戦況に左右されることなく五丈原の蜀・魏の対峙は動く気配を

見せませんでした。

 

孔明が倒れて…そして…

孔明過労死

 

孔明は魏軍との対峙中、軍営内で起きた事件を自ら捌き、蜀の本国の仕事も行っており、

毎日休む間もなく働いておりました。

そのような日々が数か月続いたある日、孔明は倒れてしまいます。

孔明が倒れたと聞いた諸将はすべて駆けつけますが、幸い倒れただけで、

重大な事態にはなりませんでした。

しかし孔明の体は着実に病に蝕まれておりましたが、彼は自らの仕事を減らそうとせず、

いつも通り小さい事件から大きな事件まですべて自分で処理しておりましたが、

再び倒れてしまいます。

孔明はそのまま安静にしているようにと医者や諸将から言われ、

安静にしておりましたが時すでに遅く、孔明の病は治ることは無く

彼の体を蝕みそのまま帰らぬ人となってしまいます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

孔明はこうして五丈原で亡くなることになりますが、

司馬懿は蜀軍が退却した後、孔明が築いた陣営を見て「彼はまさに稀代の天才だ。」と

最大限の褒め言葉で孔明を褒め称えておりました。

また孔明が亡くなった事で、蜀の国は大きな支柱を失うことになり、

ここから少しずつ滅亡へと近づいていく事になります。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう

それじゃまたにゃ~」

 

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