三国志時代には馬に乗りながら一騎打ちができなかった!?その理由とは?

2016年10月7日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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呂布VS劉備三兄弟

 

コーエーのシュミレーション三国志の醍醐味といえば一騎打ちです。

お気に入りの武将を育てて関羽や張飛、呂布などの強い武将達と一騎打ちをさせるのが

いちばんの醍醐味と言えるでしょう。

また三国志系の漫画でも必ずと言っていいほど馬に乗りながら一騎打ちのシーンが出てきますね。

しかしこの馬に乗りながら一騎打ちを行っている姿は全てフィクションだったと知っていましたか。

 

 

馬に乗り始めたのはいつからなのか

騎馬兵にあこがれる歩兵

 

三国志の時代には色んな武将が騎馬に乗って颯爽と駆けている姿がアニメやドラマなどで

描かれていますが、そもそも馬に乗る文化が出来上がったのはいつごろなのでしょうか。

 

春秋戦国時代の趙の武霊王によって馬に乗る文化が形成された

赤兎馬と武霊王

 

馬に乗って戦場を駆け巡る騎馬隊と言われる物が出来上がったのは、

三国志よりも前の時代の春秋戦国時代からです。

春秋戦国時代の趙(ちょう)王である武霊王(ぶれいおう)は、

異民族の騎馬隊と服装に目をつけて自国の臣下達や兵士達に、

異民族が着ている服を着せて、騎射を行うように命令して騎馬隊を作り上げます。

この制度を「胡服騎射(こふくきしゃ)」といいます。

この制度をきっかけにして中国の人々が徐々に馬に乗る文化が出来上がります。

しかし戦いにおいては歩兵や戦車の技術が向上していたので、

他国はあまり騎馬隊というものを作りたがりませんでした。

また武霊王が騎馬隊を作り上げた時の中国の諸国は、

この馬に乗る文化は異民族の文化で文明を持っている中華の人間は、

胡服を来て馬に乗るものではないとの理由や馬を育成するのに多大な費用がかかることから、

騎馬隊はあまり他国で作られることなく従来通り戦車や歩兵、弓兵を中心とした戦いが、

繰り広げられて行くことになります。

 

関連記事:無敵の騎馬軍団を初めて軍に取り入れた趙の武霊王

関連記事:赤兎馬(せきとば)が活躍できたのは武霊王のおかげ

 

武帝の時代から本格的に騎馬隊が作られる

騎馬兵 三国志

 

前漢の武帝の時代にはなると騎馬隊が本格的に作られるようになります。

その理由は匈奴(きょうど)がいたからです。

武帝の時代中華の河北全域を匈奴が領土としておりました。

武帝はなんとかして中華の領土から匈奴を追い出して漢民族による統治を目指したいと考えて、

あれこれ思案します。

武帝が匈奴を中華の領土から追い出そうと考えていた時一人の将軍が出現。

将軍の名前は衛青(えいせい)といいます。

彼は匈奴の強さは騎馬隊の機動力にあると考え武帝に

「漢軍にも機動力を持った騎馬隊を作って対抗しなければ匈奴に勝つ事ができない」と

進言します。

武帝はこの進言を採用して騎馬隊を作って匈奴軍に対抗することを決断。

その結果匈奴から国土を防衛するために歩兵を中心としていた漢軍でしたが、

この騎馬隊を取り入れたことにより、漢軍の中にも騎馬隊が作られていきます。

そして衛青や霍去病(かくきょへい)らの優秀な将軍が騎馬隊を活用して行ったことがきっかけで、

匈奴軍は長城以北へ逃げていくことになります。

この時の騎馬隊は鐙が発明されていなかったので、裸馬に乗って攻撃しておりました。

 

武霊王時代の騎馬隊の攻撃方法

騎馬兵 騎馬軍団

 

古代中国史のアニメや漫画に騎馬隊で鋭く敵陣へ突撃を行い、

馬上で矛や刀などを振り回して戦っている姿が描かれております。

しかし実際はどうだったのでしょうか。

まず武霊王の時代では胡の服を来て馬に乗って、騎射を行っておりました。

その為騎馬隊の主な攻撃方法は馬に乗って馬上で弓矢を敵に向かって射る攻撃方法が

一般的でした。

この攻撃方法を行うにも血の滲むような訓練をしないとできなかったと思われます。

また剣や矛を裸馬に乗って振り回すのは、

馬上で踏ん張りが聞かないためほぼ不可能な攻撃方法でした。

もしかしたら超人的な古代中国人の幾人かは馬上で矛を振り回して戦っていた可能性が、

あると思いますがほとんどの兵士や将軍は馬に乗って弓で攻撃を行う方法が取られておりました。

武帝時代の騎馬隊の攻撃方法

 

赤兎馬と武霊王

 

さて春秋戦国時代の武霊王(ぶれいおう)の時代には、

馬に乗って弓で攻撃を仕掛ける方法が取られておりました。

では武霊王から百年程の時が流れている武帝の時代にはどうだったのでしょうか。

武帝の時代もあまり武霊王と変わらず馬に乗った

騎馬隊が弓で敵に攻撃を行う方法が取られていました。

ですので百年経っても騎馬隊の攻撃方法は変わることはありませんでした。

 

三国時代の騎馬隊はどうなのでしょうか

曹操 真田丸

 

さて武帝の時代から数百年が流れ後漢王朝も形だけとなった群雄割拠の時代。

曹操や劉備などの群雄はどのように騎馬隊を運用していたのでしょうか。

 

騎馬隊の攻撃方法に進歩なし

孫策

 

三国志の時代になっても騎馬隊の攻撃方法は、

武霊王や武帝の時代の攻撃方法と進歩することなく、

弓で敵軍に攻撃する方法が取られて降りました。

その為この時代にアニメや漫画などで描かれている武将同士が馬に乗って矛を激しく振り回して、

一騎打ちを行う姿はフィクションと言える想像の戦いでした。

なぜ一騎打ちができないのかというと馬上では踏ん張りが聞かす道具が開発されていないため、

もし裸馬に乗って矛を振りますような事をすれば振り落とされてしまいます。

そしてそのまま名もない兵士に首を取られてしまうことになるでしょう。

 

匈奴は騎馬隊に乗って槍や矛を振り回していた

太史慈 孫策

 

中華の人々は騎馬に乗ることができましたが、

騎馬隊の攻撃方法は弓で攻撃をする限定的な使用方法しかできませんでした。

その理由は馬に乗る技術に習熟していなかったためです。

では三国志や武帝の時代には、

騎馬に乗って矛や槍を振り回して戦うシーンはなかったのでしょうか。

そんなことはありません。

匈奴や北方の遊牧民族達は子供の頃から裸馬に乗って草原を駆け巡っており、

裸馬に乗る技術も相当に高いものでした。

その為彼らの主力部隊である騎馬隊の兵士達は騎射はもちろん、

馬に乗って槍や矛を振り回して戦うことは朝飯前でした。

 

匈奴から騎兵を雇って軍勢に加えていた

漢の武帝は自分の国で騎馬隊を作るために養成しておりましたが、

匈奴や北方の遊牧民族らの兵士達を雇用して軍勢に加えておりました。

曹魏も中華の北方を領土としていたこともあり、

南匈奴や鮮卑などの異民族の騎馬隊を雇用して自分の軍勢に加えて、

蜀や呉の軍勢との戦いに用いておりました。

 

いつごろから矛や槍を馬上で振るっていたの

キングダムと三国志

 

実際に騎馬隊が馬上で矛や槍を使って敵軍へ攻撃できるようになったのは、

いつごろからなのでしょうか。

まず馬上で踏ん張りを効かすための道具である鐙が開発されたのは三国が統一された

晋の時代からだそうです。

しかしこの時代の鐙は馬に乗りやすいようにするための道具で片方だけしか、

鐙を取り付けることをしませんでした。

その後4世紀に入ると鐙は馬の両側に取り付ける道具へと発展したことがきっかけで、

馬上で矛や槍を振るって攻撃を行う重装騎兵が誕生。

機動性と攻撃力両方を兼ね備えた騎馬隊が完成することになります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

騎馬隊が本格的に馬上で矛を振りますような戦い方を実現させたのは4世紀の中国になるまで、

待たなくては行けません。

ではなぜ三国志のアニメや漫画で馬上で一騎打ちを行うシーンが頻繁に登場することになるのでしょうか。

その原因は三国志演義を書いた羅貫中(らかんちゅう)にあります。

彼は元帝国の末期から明初頭の人物です。

彼が活躍していた時代は騎馬隊は普通に軍隊の中で運用されていた事が原因で、

三国志演義にも騎馬に乗って矛や槍を振るって縦横無尽に戦場を駆け巡る騎馬隊の姿を

書いてしまったのではないのでしょうか。

その為アニメや漫画を描く際三国志演義をベースにしているのであれば当然馬上で、

矛や槍を振るって戦う姿が描かれていてもおかしくないと言えるのではないのでしょうか。

「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ

次回もまたはじさんでおあいしましょう

それじゃあまたにゃ~」

 

関連記事:三国志時代に降伏や降参するときはどうやってサインを出していたの?

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一騎打ち

 

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