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三国志の雑学

後宮にも上下関係が存在した?三国志後宮キャリア物語

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貂蝉

 

洋の東西を問わず、古来王様にはたくさんの奥さんがおり、

後宮やハーレムといった場が形成されていたことは、よく知られた話かと思います。

日本でも、古典でおなじみの女御や更衣が住む内裏の七殿五舎や、

国民的ドラマにもなっている江戸城の大奥なんかが有名です。

数年ほど前には、清王朝の後宮の女たちの諍いを描いた中国ドラマが大ヒットし、

日本でも放映されました。

男社会の政争に負けず劣らず、女同士の戦いも実際にかなり熾烈を極めたことでしょう。

今回はそんな後宮にどのようなランクシステムないしヒエラルキーがあったかご紹介したいと思います。

 

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夫人
世婦
後宮 朝廷 人数
天子 1
夫人 3
9
世婦 大夫 27
御女 元士 81

【表1】      【表2】

 

恒例の儒教バイブル『礼記』によりますと、

周の時代、天子のおきさきには表1のような6つの序列があったようです。

また別説として、表2のように朝廷の官僚機構と表裏一体になったバージョンもあります。

これは正室である「后」が6階級の女性達の住まい(六宮)を設置し、3人の夫人、

9人の嬪、27人の世婦、81人の御女をとりまとめて“内”=後宮を治めるのに対し、

天子が天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官という6つの行政部門(六官)を設置し、

3人の公、9人の卿、27人の大夫、81人の元士をとりまとめて“外”=国政を統べたというものです。

現代では夫婦が一緒に仕事と家事両方をこなすように変わってきていますが、

「女性が内、男性が外」という役割分担の構図は周代にはすでにあったようですね。




 

祖母 正室
太皇太后 皇太后 皇后 夫人 美人 良人 八子 七子 長使 少使

【表3】

 

春秋戦国時代を経て六国を滅ぼし天下統一を果たした秦の時代から、

天子を「皇帝」と称するようになり、後宮の女性たちの称号も以上の表のように定められます。

また秦の後宮には秦の女性だけでなく、戦敗国のおきさき様やお姫様たちもいました。

『史記』によると、始皇帝は他国の諸侯を打ち破るごとに、

都のある咸陽の北にその国の王宮を模した宮殿を造って、

捕虜となった美女たちや音楽で満たしたといいます。

また『後漢書』に、秦の後宮には秦と滅ぼした六国の女性用にそれぞれ7つの宮殿が用意され、

表3のように皇后以下八品の爵位が作られたと書かれています。

爵位とは単純にいうと身分のことで、西洋の伯爵とか公爵といった階級制度に近いものです。

『史記』には、始皇帝が死んだ際に、後宮で子どものいない女性が殉死させられ、

その数が非常に多かったと記されており、また杜牧の『阿旁宮賦』にも、

秦の皇后宮の美女たちが化粧紅を洗い流した水で

渭水(黄河の支流のひとつ)が真っ赤に染まったと詠まれています。

始皇帝の後宮にはかなりたくさんの女性がいたことがうかがえますね。

 

前漢

 

漢では、秦時代の「太皇太后~少使」の称号がそのまま受け継がれました。

ただし皇太后の尊称については原則として“先代の皇后”に与えられました。

つまり次代の皇帝が、皇后ではなく側室が生んだ子であったり、

または直系の皇子ではなく傍系の皇族であった場合には、

その実母は皇太后または太后にはなれなかったのです。

しかし諸侯王の子であった哀帝の祖母の傅昭儀は「帝太太后」および「皇太太后」、

生みの母の丁姫は「帝太后」と呼ばれたほか、成帝の母の王政君が太皇太后、

皇后の趙飛燕が皇太后と呼ばれたなど例外もありました。

武帝の時代になると、新たに「倢伃・娙娥・傛華・充依」が加わり、それぞれに爵位が付与されます。

最終的に元帝の時代に「昭儀」が加わって、全15の階級ができました。

これを朝廷の官職および男性の二十等爵制(20ランクの身分階級)

と対照させると、表4のようになります。

 

順位 後宮 朝廷(官職) (爵位)
皇后 天子
昭儀 丞相 諸侯王
倢伃 上卿 列侯(第20級)
娙娥 中二千石(月180斛) 関内侯(第19級)
傛華 真二千石(月150斛) 大上造(第16級)
美人 二千石(月120斛) 少上造(第15級)
八子 千石 中更(第13級)
充依 左更(第12級)
七子 八百石 右庶長(第11級)
10 良人 左庶長(第10級)
11 長使 六百石 五大夫(第9級)
12 少使 四百石 公乘(第8級)
13 五官 三百石
14 順常 二百石
15 無涓

共和

娯霊

保林

良使

夜者

百石
  上家人子

中家人子

斗食(年間百石未満。日食一斗二升)

【表4】

 

この対比はあくまで「該当する」という意味で、必ずしも全く同じ権力があったわけではありませんが、

後宮にも朝廷と等しい階級制度があったことがうかがえるかと思います。

ちなみに最後の「家人子」だけは他と異なり、良家の娘の中から選ばれて後宮に上がった女性で、

特に職名や等級はなく、単に「家人の子」と呼ばれていました。

 

 

 

順位 後宮 朝廷 人数
皇后 皇帝 1
和人 3
嬪人 9
美人 大夫 27
御人 元士 81

【表5】

 

王莽が前漢を滅ぼし新王朝を建てると、周代の制度に倣って後宮の制度も改められました。

前漢までの妃嬪(側室)の称号が廃止され、先秦時代を模倣しつつオリジナルアレンジを加えた

「和、嬪、美、御」という4つの称号が新たに作られます。

定員はそれぞれ和が3人、嬪が9人、美が27人、御が81人です。

 

後漢

 

皇后 貴人 美人 宮人 采女

【表6】

 

新を打ち倒し漢を復興した光武帝は、

繁雑だった妃嬪の称号をシンプル化して、表6のように4等に分けます。

このうち貴人だけは、身分の証である金印紫綬(紫の紐がついた金印)を授けられ、

俸禄(給料)として粟数十斛をもらいましたが、美人・宮人・采女には爵位も俸禄もありませんでした。

また、前漢代には諸侯王の正室はみな「王后」、母親は「王太后」と呼ばれましたが、

後漢以降、諸侯王の領地が徐々に縮小されたため、王后は「王妃」に、

王太后は「王太妃」に格下げされました。

同じ「きさき」という意味ですが、后の方が格が高く、妃の方が低くなります。

王太子の正室の場合は「妃」、側室には「良娣」と「孺子」がいました。

 

三国時代

 

魏王 文帝 明帝 太和年間
王后 皇后 皇后 皇后
夫人 貴嬪 貴嬪 貴嬪
昭儀 夫人 淑妃 夫人
倢伃 淑媛 夫人 淑妃
容華 昭儀 淑媛 淑媛
美人 脩容 昭儀 昭儀
順成 昭華 昭華
倢伃 脩容 脩容
容華 脩儀 脩儀
美人 倢伃 倢伃
良人 容華 容華
美人 美人
良人 良人

【表7】

 

魏では漢の制度にのっとって太皇太后・皇太后・皇后の称号を使い、

夫人以下の人員はその時々で増えたり減ったりします。

たとえば曹操が魏国を建てた時には、

王后(曹操は当時魏王なので、その奥さんは皇后ではなく王后となります)を頂点として、

その下に「夫人・昭儀・倢伃・容華・美人」の5つの側室身分が設けられました。

曹操の子・曹丕(文帝)の時代になると、

これに加えて「貴嬪・淑媛・脩容・順成・良人」が増員されます。

そして更にその子の曹叡(明帝)の時には「淑妃・昭華・脩儀」が追加され、

代わりに「順成」が廃止されます。

太和年間には夫人が淑妃より上位に据えられ、

夫人以下は表8のように十二等の爵位に割り当てられました。

 

  後宮 朝廷(官職) (爵位)
皇后 天子
貴嬪
夫人
淑妃 相国(宰相) 諸侯王
淑媛 御史大夫 県公
昭儀 県侯
昭華 郷侯
脩容 亭侯
脩儀 関内侯
倢伃 中二千石
10 容華 真二千石
11 美人 比二千石
12 良人 千石

【表8】

 

なお呉・蜀については史料が少なく詳細は不明ですが、

蜀に「貴人・昭儀」、呉に「夫人・美人」がいたことが分かっています。

 

 

  三夫人(三公相当) 九嬪(九卿相当) (千石以下)
皇后 貴人 夫人 貴嬪 淑妃 淑媛 淑儀 修華 修容 修儀 婕妤 容華 充華 美人 才人 中才人

【表9】

 

魏の後に建国された晋では、漢~魏の制度を踏まえつつ、多少の変更が加えられます。

まず三夫人が置かれました。彼女たちの位は朝廷で言う三公クラスに相当します。

次に九嬪が置かれます。位は九卿クラス。

そのほか千石以下の爵位の「美人・才人・中才人」が置かれました。

 

こうして見るとかなり複雑怪奇な変遷を辿っているのが分かります。

恐らくその時々で、皇帝がお気に入りちゃんのために新しいポジションをつくってみたり、

逆に恐い奥さんを遠ざけるために制度を変えたりしたこともあるのではないかと推測します。

その度にきっと後宮内外で見えない闘いが繰り広げられていたことでしょう。

中国の後宮には色々と恐ろしい逸話もありますので、ご興味のある方は調べてみるのも一興です。

 

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—




 

楽凡

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楽凡

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歴史専攻は昔の話、今は漢文で妄想するのが得意なただのOLです。
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タイムマシンが欲しいけど発明されたくない葛藤。

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