李靖(りせい)とはどんな人?曹操と孔明の二人から学んだ初唐の名将

2016年10月15日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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李世民と共に各地を転戦

 

李靖(りせい)は李世民の配下として彼に仕えることになると、

李世民と共に各地を転戦します。

彼は青年期に兵法の研究を熱心にやった結果がここで現れ、

隋(ずい)末期に出現したあまたの反乱勢力を研究した

兵法に応用を加えた用兵術を駆使して、平定します。

こうして彼や秦瓊(しんけい)、

尉遅恭(うっちきょう)らの名将たちの活躍によって、

乱れていた中華は統一される事になり、

唐の天下統一が完成することになります。

 

 

 

最強異民族突厥の攻撃

 

突厥(とっけつ)は中国の長城北部に強大な勢力を誇っていた異民族です。

彼らは一時期中国の統一王朝と同じくらいの領土の大きさを誇っておりましたが、

その後東と西に分裂することになります。

東突厥は唐へ幾度も侵攻を行い、略奪を働いていきます。

唐を建国した李淵は、突厥が中華に侵入してくるたびに軍勢を出撃させて、

撃退しておりましたが、撃退されても突厥は懲りずに何度も侵攻してきます。

その後唐の2代目皇帝となった李淵は李靖に命じて、突厥討伐を行わせます。

李靖は突厥討伐の為、5万の兵力を率いて出陣します。

 

 

 

奇襲作戦で突厥を蹴散らす

 

李靖は突厥の領地に進んでいる間、

東突厥の内情や文化、戦術など色々な情報を

かき集め、取捨選択して情報を整理しながら進軍を行っていきます。

情報の整理が終った李靖は軍団のすべてを配下の将軍に任せて、

自らはたった三千の兵力で雪の中にある突厥の本陣に向かって出陣。

そのまま突厥の本陣の奇襲に成功します。

その後東突厥の有力な将軍である康蘇密(こうそみつ)へ離間の計を仕掛け、

彼を唐に降伏させることに成功。

東突厥の当主であった頡利可汗(けつりかがん)は、

康蘇密が唐に降ったことで、東突厥の内陸部へ逃走することになります。

そして東突厥は領土縮小により、唐と戦い続けることに無理を感じたため、

唐へ降伏することになります。

 

東突厥を滅亡させる

 

皇帝である李世民は李靖の活躍を大いに喜び、

彼へ突厥に対する外交の全権を与えます。

李靖は突厥に対する外交の全権を任せられると、

降伏してきた東突厥に対して、大軍で攻撃を仕掛けます。

この攻撃によって東突厥の大半は討ち滅ぼされることになり、

東突厥はついに滅亡することになります。

 

吐谷渾討伐戦

 

吐谷渾(とよくこん)は唐と仲良くしておりましたが、

突如唐から派遣した使者を殺害し、反旗を翻します。

吐谷渾の反旗を知った李世民は、名将である李靖に討伐戦を任せようと考えますが、

彼はかなりの歳であったため、他の者に任せようと考えます。

李靖は自分が歳をとっている事が原因で戦を任せられないと言うことを人伝から聞くと、

すぐに李世民の元へ行き「陛下。私は歳をとっていたとしても、

この智謀が錆びることはありません。ぜひ私に吐谷渾討伐に行かせてください。」と

懇願します。

この李靖の懇願を聞いた李世民は、李靖に吐谷渾討伐へ行くように命令を出します。

こうして李靖は最後の戦である吐谷渾討伐戦へ赴くことになります。

 

伏允の焦土作戦

 

吐谷渾の軍勢を率いていた伏允(ふくいん)は、

唐から来た討伐軍の大将が李靖である事を知ると

すぐに退却するように諸将へ命じます。

この時に伏允は、駐屯していた牧草地帯を燃やしてから撤退を行います。

この状況を見た唐の吐谷渾討伐軍に参加していた諸将は、

軍議の席で「総大将。牧草が全て焼き払われてしまっては、

馬に餌を与えることができません。

馬に餌を与えなくては、吐谷渾の領地へ攻め込むことは困難を極めることでしょう。

そのため牧草地帯に草が生えてから進撃するべきだと考えます。」と進言されます。

しかし李靖は、諸将の進言を取り上げずに進言する決意を固めます。

その理由は「牧草地帯に餌がなくて、困難を極めるのは敵も一緒である。

そのため今こそ敵陣へ攻撃を仕掛けるべきだ。」との理由を諸将へ説明し、

吐谷渾の領地へ向けて進軍を開始します。

こうして退却している伏允の軍勢に襲い掛かり、なんとか殲滅することに成功。

こうして吐谷渾は滅亡することになり、西域と交流する道が開かれることになります。

戦がなくなってからは李靖は唐の宰相として国政を見ることになり、

政治の場でも活躍していくことになります。

【次のページに続きます】

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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